後白河法皇
絵巻の読者を考える場合、いうまでもなく時代的変遷を考慮に入れなくてはならない。
その発生期、一〇世紀末といわれている時点では、前回引用した武者小路穣の指摘によれば、『後宮や高位の貴族の邸内奥深くのごく限られたもの』であった。
この時期、『伊勢物語絵巻』『竹取物語絵巻』『宇津保物語絵巻』などが存在したと『源氏物語』に書かれている。
しかし、これらはおそらく、後の『信貴山縁起』『伴大納言絵巻』などとは、趣が異なっていたのではないだろうか?
『竹取物語』ぐらいの長さになれば、もうすべての場面を絵画化することは考えられない。まして『宇津保物語』のような大長編の全編絵画化は、物質的にもむりな話である。
(「絵巻の歴史」 20p )
つまり、後の説話絵巻が絵巻を見ていくことで、物語を「読む」形式であるのに対し、発生期の絵巻は読者の側に共通認識として「物語が先ずあって、その中の一場面が、物語絵として描かれた」 (「絵巻の歴史」 24p )と推測されるのである。
「源氏物語絵巻」の中に「東屋」という場面がありますが、ここでは浮舟が絵を眺めている傍らに女房の右近が侍って詞書を読んであげています。このように身分の高い人が絵巻を見るときは、詞書を読むお付の人がいたようです。
(「絵巻を読み解く」 167p )
物語のある一場面の絵があり、それに添えられた和歌を読むように、お付の人が詞書を読んだのではないかと想像している。
一方、説話物語は、異なった構造で作られている。
『信貴山縁起』も『伴大納言絵巻』も解釈は分かれるとしても、本来の説話を全く知らない私たちでも、話の筋はたどれる。
物語として完結しているのである。
『後宮や高位の貴族の邸内奥深く』住む人ではない読者と、「読む」という行為を想定せざるを得ない
五味文彦は『鳥獣人物戯画』の読者(文字はないが、一応読者とする)について、以下のように述べている。
読み手としては寺院の童が考えられる。絵巻の丙巻の奥書には「秘蔵秘蔵絵本也」とあって、「建長五年5月日 竹丸(花押)」の記載が見える。これは竹丸が所持していたことを示すものと考えられるが、この竹丸とは寺院の童であろう。
寺院には童が多くおり、いろんな教育を受けていた。
(「絵巻で読む中世」 034p )
だから覚猷のような絵に覚えのある僧が、童の楽しみのためにこの絵巻を描いたことは十分に考えられる。南北朝時代に作成された『後三年合戦絵詞』はその序で「児童幼学のこころをすすめて、讚仰の窓中、時々是を披て永日閑夜の寂寞をなぐさめ」としるしており、児童幼学のためにもこれを作成するのである、と特に述べている。
(「絵巻で読む中世」 035p )
「絵巻」が、「児童幼学」のような、全く始めて「読む」読者にも理解できるように変質して行ったのがうかがえる。
五味は「『古今著聞集』は、作者の橘成季が絵巻に描くための話を集めた(022P)」ことを指摘している。
院政期、これらの説話物語は、一つの頂点を極める。
特に後白河法皇は、マニアといえるかもしれない。
『年中行事絵巻』を作らせたのは後白河であるし、『伴大納言絵巻』も、後白河院の時代のもののようだ。
五味は『伴大納言絵巻』について、「長寛二年(一一六四)に平清盛が後白河院のために造進した蓮華王院の宝蔵に納められていたようだ」(088P)と書いている。
「今様」を愛し、「梁塵秘抄」をまとめたくらいの文化的パトロンが、「絵巻」好きであってもおかしくはないが、『古今著聞集』四〇〇段の次の話が、気になっている。
右大将頼朝、ご宝蔵の絵を拝見せざること
東大寺ご供養の時、鎌倉の右大将上洛ありけるに、法皇より法蔵の御絵ども取り出されて、関東にはありがたくこそ侍らめ、見らるべきよし仰せ遣はせらたりけるを、幕下申されるは、「君の御秘蔵候ふ御物に、いかでか頼朝が眼をあて候ふべき」とて、恐れをなして一見もせで返上せられにければ、法皇はいらんずらんと思しめしたりけるに、存外に思しめされける。
(新潮日本古典集成「古今著聞集 下」 四三頁)
古典集成の注によれば、建久元年の頼朝上洛のエピソードのようだが、この年、頼朝は後白河から権大納言に任ずるとされたが辞退している。
秘蔵の宝を見せる、あるいはあたえる、という行為が、権力の上下関係を決定づけたのかもしれない。
五味は、頼朝が「見たならば、後白河に従うことになる、と直感したのではないか(062P)」と書いている。
後白河は、優れた絵巻を描かせ、それをごく少数の人に見ることを許す。
宝蔵の中のものは、「王権」の象徴であったのかもしれない。
としたら、それらは秘されなくては、ならなかったのである。
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