発見された読者

バルザック、ユーゴ、ジョルジュ・サンドジュール・ベルヌ、ドーデ、ボードレール、ゾラ、ユイスマンスetc.…。
19世紀の編集者・出版社の経営者、さらにあわせて児童文学者だったエッツェルの生涯を語る大部の本は、その登場人物の多彩さだけでも、十分に興味を引く。
ロマン派から、後期ロマン派、自然主義の萌芽まで、エッツェルという編集者は、フランスの文学が爆発的に良質な作品を量産する場面に立ち会った編集者であった。


また、この時期のフランスは、七月革命二月革命、第二共和制、第二帝政、パリコーンミューン等々、政治の激動期でもあった。


一方、19世紀フランスの出版業は、活況を呈する。Hachette、Calmann-Lévy、Garnier Frèresなど、今日に続く出版社が登場したのは、この時期である。


世界的な大作家が次々に登場したから、出版界は発展したのか? あるいは、出版界が賑わったから、大作家が生まれたのか?
このふたつが、絡まるようにフランス19世紀文学は生まれたのだろうが、ここで注目したいのは、出版業が殷賑を極めた別の要因である。


私市保彦は、この本の後半で、エッツェルが出版の歴史に果たした役割として、次の四つの点を上げている。


(1)挿絵
(2)ポスター
(3)豪華本
(4)叢書/廉価本
                      p448


挿絵について見ると、もちろん挿絵自体はこれ以前から存在したのだが、この時期大きな技術的な進歩があった。

 挿絵が新技術による木版画でなされるようになったということも、新しい流れに拍車をかけた。それまでは、本の挿絵は石版画や銅版画によるものが主流であった。ところが、目のつまった木にビュランという先が菱形の鑿で彫るビュラン彫りの技術が一八二〇年頃イギリスから輸入されたということがあって、それまで柾目の木に彫刻刀で彫られていたのが、ビュラン彫りの制作法で、これまでより精緻で長持ちし、活字の頁のなかに挿絵の版をしっかりはめこむことができるようになり、これも挿絵の時代の到来にはずみをつけたのである。
(略)
 ノディエの画期的な著作からはじまった挿絵本の刊行は、やがて、ジグー挿絵『ジル・プラース』(一八三五)、ジョアーノ挿絵『ドン・キホーテ』(一八三六)、グランヴィル挿絵『ラ・フォンテーヌ寓話』(一八三六、一八四〇)などの代表的な刊行をうみだした。エッツェルが企画したバルザック『人間喜劇』でも、ベルタール、ジョアノー、ガヴァルニー、メソニエなどの挿絵画家の絵がいれられた。さらに単行本より定期刊行物で挿絵は大きな役割を果たし、「挿絵マガジン」(一八三三年発刊)、「家庭博物館」(一八三三年発刊)、「イリュストラシオン」(一八四二年発刊)、「挿絵世界」(一八五一年発刊)などつぎつぎに刊行されて、その隆盛は写真の時代まで続くこととなった。
                              p450


エッツェル書店の最大の売り物は、ジュール・ヴェルヌの作品であった。この本に、挿絵は、欠かせないものとなっている。

 ジュール・ヴェルヌの『驚異の旅』は、ダイナミックな挿絵と切りはなすことができない。読者は文章を読みながら、冒険や未知の国や空想的な乗り物を挿絵でたしかめて、また想像力をふくらませるようになる。    p448


この挿絵本の印税をめぐって、ヴェルヌとエッツェルの間に問題が起こるのだが、それはともかく、挿絵は、ヴェルヌの作品の販売に大きく貢献したに違いない。とりわけ、子供たちに。


エッツェル書店のポスターを見ることができる。
http://www.julesverne.ca/jvhetzelposters.html
1880年、1882年、1890年のポスターにとりわけ顕著なのだが、販路拡大のためのポスターの狙いは、子供たちであるのがわかる。


フランスで、クリスマスに子供にプレゼントをあたえる習慣は、アメリカから19世紀末に導入され、20世紀に入って浸透し、第2次大戦後に今日のように定着した。カトリック国フランスでは、聖ニコラウスを商業主義に使うことの反発があり、1951年には、ディジョンでサンタクロース人形を火あぶりにさえしている。(クロード・レヴィ=ストロース『サンタクロースの秘密』参照)


以上は余談だが、19世紀、子供へのプレゼントは「お年玉étrennes」であった。

いわゆる「お年玉本」(livres d’étrenne)といわれている豪華本をエッツェルはおびただしく出版した。しかも、その中身がヴェルヌ本などの時代に即した革新的なものであったことは、特筆すべきである。     p460


ここでも、子供たちをターゲットにしている。


ヴェルヌの本を多く出していたエッツェル書店だからこうなのではなく、アシェットは、1857年に「子供週刊誌」を発刊しているし(『読むことの歴史』 p471)し、ジュール・ヴァレスは、エッツェルとアシェットの「お年玉本」の批評、比較をしている。(『名編集者エッツェルと巨匠たち』 p463)


この時期、出版業が活況を呈したのは、それまでの時代に考えられなかった子供をはじめとした新規読者の開拓、確保にあったことが分かる。


たとえば、ポスターの発達、普及を促したリトグラフの手法は

一八六五年以降、ブリッセ石版印刷工房が、ゼーネフェルダーの愛弟子のエンゲルマンが開発した多色刷りの石版画を改良して、美麗な多色画を安価に量産できるようにした。そこに多色石版画の製作者ジュール・シェレがあらわれて、ポスターの黄金時代が出現した。
 やがて、マネ、ドガロートレックドーミエなど、多くの画家が石版画に手を染め、その流行のなかで、シェレは『踊り子の恋人』(一八八八)、『ムラン・ルージュ』(一八八九)、『パリの公園』といったポスターの傑作をつぎつぎと印刷していった。そして、時代が移って、ミュシャなどのアール・ヌーヴォーの時代が到来する。   p458


と発展していくが、同時に挿絵入りのモード誌を普及させていく。1866年に『絵入りモード』誌は、発行部数五万八千部に達した。(『読むことの歴史』 p452)


さらに、廉価本である。

格安本の普及が決定的となったのが、イギリスのスミス書店が駅で本の販売をはじめたのを取り入れたアシェット社の「鉄道文庫」である。一八五二年からから刊行され、すでに完備されてきた鉄道網とともに全国にひろがった。そして、そのあとを追うように五五年からミシェル・レヴィー社も「旅人文庫」をはじめた。同時に、一八五五年から刊行された同じくミシェル・レヴィー社の一巻一フランシリーズといった廉価版も、本の市場をまきこんでいった。       p468


こうした廉価本によって、庶民層という広範な読者が開発されていく。


19世紀、読書の国フランスを作ったのは、実はこれらの新規読者層であった。


エッツェルは、1844年に作家スタールとして書いた『パリの悪魔』中の作品で次のように書く。

出版は「手を加えることによって原価の価値の四分の三が消えてしまう唯一の産業ではないか」、とこぼす。あげくのはて、「フランスという国はヨーロッパでいちばん機知に富んだ国であるが、またいちばん本を読まぬ国でもある」、とフランスの読者に八つ当たりする。むろんここぞとばかり、エッツェルはぐちをこぼしているのである。    p105

19世紀後半は、彼自身が、その状況を変えていった歴史だった。


名編集者エッツェルと巨匠たち―フランス文学秘史

名編集者エッツェルと巨匠たち―フランス文学秘史


サンタクロースの秘密 (serica books)

サンタクロースの秘密 (serica books)


読むことの歴史―ヨーロッパ読書史

読むことの歴史―ヨーロッパ読書史

  • 作者:ジェシャルティエ,グリエルモカヴァッロ,Roger Chartier,Guglielmo Cavallo,田村毅,月村辰雄,浦一章,横山安由美,片山英男,大野英二郎,平野隆文
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 2000/05/01
  • メディア: 単行本
  • クリック: 6回
  • この商品を含むブログ (16件) を見る