未完のテクスト


ソーントン不破直子著の「ギリシアの神々とコピーライト」は、西欧における「作者」の概念の変遷を包括的にたどれる好著だ。

著者は、ギリシャ古典・聖書の時代から「作者」は、神の代理であったということから説く。
ルネッサンス期以降自立した「作者」が誕生したという著者の主張は、ペトラルカ他を論じながら、すでに見てきた。
ソーントン不破直子の主張の中で、注目したいのは、作品の中に書かれる「対象」についてである。


ギリシア古典における「ミメシス」は、模倣し表現すべき何かが「作者」の外に存在していることを前提といていた。つまり「作者」自身には表現すべき「内面」などなかったのである。西欧において、個人の―――具体的には自己の―――「内面」が個別の新奇なものとして発見されるということは、アリストテレス以来の革命的な認識の変化である。             p58


神の代理人であれば、取り上げなければならない対象は、自己の外部にあり、「作者」は、それを忠実に、見事に表現し、伝達することに意味がある。しかし、ルネッサンス期にいたって、自己の内面を描くという、新奇な発想が生まれたというのである。

そして、ソーントン不破直子は、それを始めた人物まで特定する。

 多くの文学ジャンルが、その誕生の時期、ましてや創始者―――最初の作者―――が特定できないのと対照的に、この自己の「内面」を表現することに特化したジャンルは、いつ、誰によって始まったかがはっきりしている。それは、シドニーが「詩の弁護」を書いていたと同じ頃、フランスにおいてミッシェル・ド・モンターニュ(Michel de Mnotagne 一五三三―九二年)の『随想録』(Essais 一五八〇年初版以後加筆を続け、一五八八年など改訂版)によって始まった。
                            p58〜59


自己の内面を表現するという行為と、それ以前の自己の外部に、「神の秩序」としてあったものを表現、描写するこういとの間には、とてつもない隔たりがある。
つまり、「観察するもの」と「観察される者」(対象としての「自己」と「作者」)が、同一人物の中で、分裂してしまうことが必然化するわけだ。

自己の「内面」が観察できると認識することは、自己の中に、「観察する自己」と「観察される自己」という二つの個別の存在を認識することである。この意識は、「作者」という概念に飛躍的な変化をもたらす。すなわち、書き手は自分のことを書いていながら、自分を他人のように観察、描写している。「作者」と題材としての自己との間にはっきりとした距離があるのである。題材である自己がいかに怒り、悲しみ、喜び、考えようとも、「作者」である自己はそれを冷ややかに観察、分析、判断して描写できる、つまり統一された一個の主体としての自己は消えたのである。                                       p62


「観察する自己」=「作者」とは、誰だろう? あるいは、どの高みに立っているのだろう?


おそらく、それは、「作者」とその生産物であるテクストの関係に見合っているはずである。
その距離は、印刷され、固定されたテクストの集合体としての「書物」との距離である。

しかし、固定された瞬間、テクストは、「観察された自己」を裏切り続ける。

 自分を含めた万物の無常・相対性―――この理念は『随想録』全編に流れている強力な傾向であるが、これはまた、モンテーニュの言語に対する懐疑の基ともなっているように思われる。彼が読者に伝達したい事柄は常に変化してゆくものであるのに対し、その表現媒体たる言語は、その動きを常に静的・絶対的に固定してしまう機能を有しているからである。動きは言語によって表現された瞬間に、動きでなくなってしまう。言語にはもはや固定した静的な意味がついてしまい、自己の変化に富んだ「内面」を表しきれない。このディレンマをモンターニュ彼の最長のエセー「レーモン・スボン弁護」の中で、ピュロン学派の哲学者たちの言葉を借りて詳説している。こうしてモンテーニュは、この自己の「内面」を含めた万物の変化に忠実であろうとし、それを言語で表現する「作者」であろうとする瞬間に、その言語そのものを否定しなければならなくなるのであった。                     p61

と、ソーントン不破直子は指摘し、モンテーニュ自身の言葉を引用する。

わたしは本体êtreを描かない。推移passageを描く。一年ごとの推移でも人々のいう七年ごとの推移でもなく、毎日、毎瞬の推移を描くのだ。   p62


推移を描くなら、テクストは永遠に固定されず、書き続けられなくてはならない。
実際、モンテーニュは、死の直前まで、テクストを直し続けた。


宮下志朗は、モンテーニュの完訳を始めるに際し、『エセー』のテクストについて語っている。


従来最終テクストと考えられてきた、「ボルドー本」(モンテーニュの自筆の加筆がある)に対し、編者の恣意的な編集があるとされてきた1595年版を選んでいる。
テクスト・クリティークに関し、専門家の論争を判断することはできないし、詳しくは宮下訳・第一巻所収の『エセーの定本について』を参照いただきたいが、いずれにせよ「観察される自己」を書き始めたときから、モンテーニュのテクストは完結することなく、浮遊を続ける。
そしてそれは、編者や校訂者などの他者、そして読者によって、その死後に至っても続くのである。

 言語を相対化する、ということは、言葉の意味をその時々の状況によって変える、ということである。テクストであるなら、補筆によってコンテクストが変わると、もとあった言葉の意味がそれに応じて変わるということである。「作者」は主として連想によって、コンテクストを変え、言葉の意味を変えるのであるが、この言語の相対化は「読者」を巻き込むことを忘れてはならない。すなわち「読者」も連想の力を駆使して、新しい意味を読み取るのである。『随想録』は、そのような「読者」の意味生成への参加を期待している。   p64


ペトラルカが、自己のテクストの「同一性」を維持しようと腐心し続けてきたことをかつて見てきたが、「作者」の誕生は、逆にテクストの「未完」性を生むことになったといえる。



エセー〈1〉

エセー〈1〉