「断片化」する書物


書籍の電子化の話が喧しい。
また、実際に焦眉の課題になりつつあることもまちがいないだろう。

森銑三柴田宵曲共著の「書物」は、こんな時期に読むのには、いかにものんびりした本かも知れない。
とくに希有の書誌学者であり、戦後の苦しい時期には、反町茂雄の古書肆弘文荘に勤務して口を糊したことさえある森銑三は、書物への慈愛に満ちていると思われている。
そして確かに、森は本への愛に満ちていただろうし、もし電子化に急速に流れを向けている現在にあったら、恐らく苦々しい思いを感じただろうことは想像に難くない。

しかし、森がこの「書物」の中に記している彼の読書法や書物に対する考え方は、単なる「愛書家」や、今、世に充満し本に対する「フェティシズム」だけを根拠に、「本はなくなりません」と言いつのる人々とはいささか異なるようである。

たとえば、森は、専門の著述家や出版社に対して、懐疑的である。

なおこの著述家という名目であるが、これには何やら職業的な匂の伴うものがあって好ましからぬ。書物を拵える技術ばかりを心得て、著述ということを安価に考え、ただ技術的な手腕に依ってつぎつぎと書物を拵えて、それで生活して行こうとする職業的な著述家などというものは、甚だ以てありがたからぬ。
 技術的には拙くても、私等はむしろ職業的な著述家以外の人々の手に成った書物を見たい。越後の良寛は、書家の書と、詩人の詩と、料理人の料理とを嫌いなものに数えた。その中には著述家の著述も加えられそうである。 p33

また、「金もうけ」を優先する出版社に懐疑的で、むしろ細々とした私家版の出版物に好意を示す。

(前田公爵家育徳財団の出版物)さような善美を尽した複製本は私等の分際でないにしても、またいつかは私等は私等なりに、一々出版業者を煩わさなくても、小さな出版物が、手軽に個人的作られて、一部の人々に配布したりすることの出来る日の来るようにと願われる。   p39


このふたつの記述を読む限りでは、ブログなど手軽に著述が発表できる現在の状況を、森はいかに思うだろうか? 

むろん、森ほどの碩学であれば、内容に対して厳しく、実際には有象無象ばかりの「著述」にうんざりしただろうが……。

また、森は仕事は、ほとんど図書館ですると語っている。その上で、通常の読書については、次のように語る。

 殊に私等のような、極った読書の時間を持たず、外出する度に書物を持って出て、行った先でもその途中でも、暇さえあれば本を読もうとしている者は、大きくて重い書物は甚だありがたからぬ。外の持物と併せても、それほど持重りもせず、嵩ばらぬ書物が最も私には好ましい。軽い点では和紙の和装本に如しくものがない。    p55


和本とは大きく異なるが、ブックリーダーに私たちが感ずる魅力に通ずるものがあるかも知れない。
もちろん、森には軽さ以上に、「和本」に対する愛着があったことは言うまでもない。

さらに森は

今重点主義ということが唱えられているが、それを書物の上にも唱えてもらいたい気がする。必要な場合に、必要に応じて、必要な箇所だけを見れば済む書物までも、一生涯に一、二度使用する時があるかどうか分らぬ程度の書物までも、個人で購入しなくても済む時代を招致したいものである。
p109


このことは、本の「断片的」な使用にあと一歩の言説である。
国立国会図書館の前田真は、「電子図書館 新装版」の中で、電子図書館の構想として

本という一つの単位をその中に存在する章や節、パラグラフといった任意の単位に解体し、利用者の欲する単位で必要なところだけを提供することである。もう一つは多くの解体されたそれらの単位で、関係するものの間に自動的にリンクを付けて、人間が連想的に関係する知識を取り出すように、いもづる式にとりだせるようにすることである。こうして一冊の本という壁をこえて、関係する部分を横断的につなぎ、利用者の目的に応じた編集が自由にできるようにすることである。
                                               VI


書籍の電子化とは、一つの側面として、「書物」を解体し、断片化し、再構成することを容易にする。(この間の事情は、前田塁「紙の本が亡びるとき?」第2章に詳しく論じられている)
いいかえれば「読者」が、「断片化」した書物をもとに、それぞれの「利用者の目的応じた編集」を「自由に」行うことである。
いうまでもなく、これまでの「読者」も、頭の中でその作業を行ってきた。
が、電子化とは、それを容易に可視化することである。

書物の電子化を契機に、1冊の本が「全体性」を持つという近代の神話が崩壊するはずである。(中世には書物は「全体性」など持っていなかったから)

私たちは「書物の解体」という場面を、目撃しようとしている。



書物 (岩波文庫)

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電子図書館 新装版

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紙の本が亡びるとき?

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