「断片化」する書物


書籍の電子化の話が喧しい。
また、実際に焦眉の課題になりつつあることもまちがいないだろう。

森銑三柴田宵曲共著の「書物」は、こんな時期に読むのには、いかにものんびりした本かも知れない。
とくに希有の書誌学者であり、戦後の苦しい時期には、反町茂雄の古書肆弘文荘に勤務して口を糊したことさえある森銑三は、書物への慈愛に満ちていると思われている。
そして確かに、森は本への愛に満ちていただろうし、もし電子化に急速に流れを向けている現在にあったら、恐らく苦々しい思いを感じただろうことは想像に難くない。

しかし、森がこの「書物」の中に記している彼の読書法や書物に対する考え方は、単なる「愛書家」や、今、世に充満し本に対する「フェティシズム」だけを根拠に、「本はなくなりません」と言いつのる人々とはいささか異なるようである。

たとえば、森は、専門の著述家や出版社に対して、懐疑的である。

なおこの著述家という名目であるが、これには何やら職業的な匂の伴うものがあって好ましからぬ。書物を拵える技術ばかりを心得て、著述ということを安価に考え、ただ技術的な手腕に依ってつぎつぎと書物を拵えて、それで生活して行こうとする職業的な著述家などというものは、甚だ以てありがたからぬ。
 技術的には拙くても、私等はむしろ職業的な著述家以外の人々の手に成った書物を見たい。越後の良寛は、書家の書と、詩人の詩と、料理人の料理とを嫌いなものに数えた。その中には著述家の著述も加えられそうである。 p33

また、「金もうけ」を優先する出版社に懐疑的で、むしろ細々とした私家版の出版物に好意を示す。

(前田公爵家育徳財団の出版物)さような善美を尽した複製本は私等の分際でないにしても、またいつかは私等は私等なりに、一々出版業者を煩わさなくても、小さな出版物が、手軽に個人的作られて、一部の人々に配布したりすることの出来る日の来るようにと願われる。   p39


このふたつの記述を読む限りでは、ブログなど手軽に著述が発表できる現在の状況を、森はいかに思うだろうか? 

むろん、森ほどの碩学であれば、内容に対して厳しく、実際には有象無象ばかりの「著述」にうんざりしただろうが……。

また、森は仕事は、ほとんど図書館ですると語っている。その上で、通常の読書については、次のように語る。

 殊に私等のような、極った読書の時間を持たず、外出する度に書物を持って出て、行った先でもその途中でも、暇さえあれば本を読もうとしている者は、大きくて重い書物は甚だありがたからぬ。外の持物と併せても、それほど持重りもせず、嵩ばらぬ書物が最も私には好ましい。軽い点では和紙の和装本に如しくものがない。    p55


和本とは大きく異なるが、ブックリーダーに私たちが感ずる魅力に通ずるものがあるかも知れない。
もちろん、森には軽さ以上に、「和本」に対する愛着があったことは言うまでもない。

さらに森は

今重点主義ということが唱えられているが、それを書物の上にも唱えてもらいたい気がする。必要な場合に、必要に応じて、必要な箇所だけを見れば済む書物までも、一生涯に一、二度使用する時があるかどうか分らぬ程度の書物までも、個人で購入しなくても済む時代を招致したいものである。
p109


このことは、本の「断片的」な使用にあと一歩の言説である。
国立国会図書館の前田真は、「電子図書館 新装版」の中で、電子図書館の構想として

本という一つの単位をその中に存在する章や節、パラグラフといった任意の単位に解体し、利用者の欲する単位で必要なところだけを提供することである。もう一つは多くの解体されたそれらの単位で、関係するものの間に自動的にリンクを付けて、人間が連想的に関係する知識を取り出すように、いもづる式にとりだせるようにすることである。こうして一冊の本という壁をこえて、関係する部分を横断的につなぎ、利用者の目的に応じた編集が自由にできるようにすることである。
                                               VI


書籍の電子化とは、一つの側面として、「書物」を解体し、断片化し、再構成することを容易にする。(この間の事情は、前田塁「紙の本が亡びるとき?」第2章に詳しく論じられている)
いいかえれば「読者」が、「断片化」した書物をもとに、それぞれの「利用者の目的応じた編集」を「自由に」行うことである。
いうまでもなく、これまでの「読者」も、頭の中でその作業を行ってきた。
が、電子化とは、それを容易に可視化することである。

書物の電子化を契機に、1冊の本が「全体性」を持つという近代の神話が崩壊するはずである。(中世には書物は「全体性」など持っていなかったから)

私たちは「書物の解体」という場面を、目撃しようとしている。



書物 (岩波文庫)

書物 (岩波文庫)


電子図書館 新装版

電子図書館 新装版


紙の本が亡びるとき?

紙の本が亡びるとき?

読者・語り手・作者


「読者はどこにいるのか」というタイトルは、現在、多くの出版社の人間、編集者にとって、切実な問いに違いない。
むろん、石原千秋のこのタイトルの意味は、売れ行き不振に悩む出版社に対する指南ではない。
「文学理論」として、書物に対峙した時の「読者」の位置、あるいは「読む」という行為のポジショニングを問うているのである。

最先端の「文学理論」が、現在どのような位相にあるのかについて、詳らかではないし、興味もない。
あるいは今現在、大学の文学部のキャンパスにおいて、文学がどのように読まれているのかにも関心はない。

ただ「読む」という行為の、今日的意味に関しては、少なからず興味はある。

石原は、かつての読書を「作家論パラダイム」と呼ぶ。
いいかえれば、「教養主義」を基礎とするの読み方としてとらえている。
この間の事情は、竹内洋教養主義の没落」に詳しいが、かつて、読書は「作者」のご託宣を聞くかのように、書物を読む行為であったと思う。
小林秀雄の「全集を読む」ことをすすめる文書を引用しつつ、石原は、次のように書く。

研究論文でも、「ここに漱石の肉声が響いている」といった巫女さんのような言葉が結論になったり、「これが漱石が晩年に到達した境地であった」と作家の成長物語が語られたりと、なるほどその作家の「真実」が書かれているとして。「ほんの片言隻語」が新たに「発見」されたりしたものだ。
 作家論パラダイムにおいては、「真理」は作家の側にあるのだから、極端に言えば、読者は自分が読者であるという意識さえ持ってはいなかっただろう。読者は自分を消して、作家の「真理」に触れたと感じられさえすればよかったからだ。                                  p23

1960年代後半〜70年代初め前後を振り返れば(私自身と私の周辺にいた人々から感ずるわずかな体験に過ぎないが)、マルクスでも、吉本隆明でも小林秀雄でも、「作者」が誰であれ、「読む」という行為は、「作者」が知的努力の果てにたどり着いた高みから発せられる思考を、読み解くことであったと思う。

とりわけ、大学生は、教養主義の残滓をかかえており、その学生の感性と実態としての大学との齟齬が、全共闘運動のひとつの原因であった点は、小熊英二が「1968」という大部の書の中で、詳しく論じている。

この「教養主義」は、竹内の前掲書では、1970年代に崩壊する。

 教養主義の終焉は、これまで見たような支持的社会構造や支援文化の崩壊という消極的要因だけによるのではない。決定的な、つまり教養主義の積極的要因は、一九七〇年代後半以後の「新中間大衆社会」の構造と文化にある。
                        「教養主義の没落」


「読者」は、この「教養主義の終焉」以降、「大衆消費社会の読者となった」(石原前掲書・p68)のである。石原は「いま私たち読者はかつての教養主義時代の読者とは違って、分厚い層をなした消費者として、書き手に自分達を意識させるだけの権力と政治力を持った」(石原前掲書・p68)と続ける。

では、「いま私たち読者」は、どこにいるのか?

 しかし近代以降、小説の読者は書いてあることはホントのことだと思わなくてもいいという約束事が成立した。そこで小説の読者は、作者のことは忘れて、自分の好きなように解釈できる自由を手にすることができたのだ。                                       p100


石原は、この後、「自由に解釈していいと思うこと」と、「実際に自由に解釈すること」が、同じではないことを指摘し、私たちが「大衆消費社会」の「内面の共同体」に縛られていることを証すが、カルチュラル・スタディーにつながるこの分析は、興味深いにせよ、私の当面の課題ではない。

少なくとも、私たちは、書物を(とりわけ小説だが、小説とは限らない、場合によってはマルクスをご託宣としてではなく、好き勝手に読むこともできる)自由に読むことができる。

受容理論とは「文学作品というものを、完成したものではなく、どこまでいっても未完成なものである」と考えることになる。それは、あたかも「塗り絵理論」のようなものだと言うのである。「塗り絵理論」とは、読書行為はたとえば線で書かれただけの「未完成」な人形の絵を。クレヨンで色を付けて完成させるようなものだとする考え方である。                   p103〜104

書物は、未完のまま、私たちの前に投げ出され、「読者」は、読むことで、書物を完成させる。


では、書物の、あるいは小説を語っているのは、誰なのか?

小説論として考えれば、小説の構造としての全体性(=「私」の内面)は「語るいま」という時制が保証し、同時に「語るいま」という時制によって制限されるということだ。語り手は常に<いま・ここ>で語るが、それを読む読者が体感するのは、小説テクストが書かれたその時ではなく、読んでいる「いま」である。こうして「いま」という時制が浮上する。「語るいま」は、作者ではなく語り手の行為そのものの時制である以上、まさにそれこそが「いま」小説テクストを読んでいる読者の領域なのである。語り手とは読者だったのだ。語り手は姿も見えず声も聞こえないとすれば、読者もまた小説テクストにおいては姿も見えず声も聞こえない。読者には小説テクスト
に対する態度があるだけだ。            p156


「小説論として考えれば」と慎重な前置きが書かれていることもあって、ここで述べられているのは、理論としての「作品」に内在する「読者」であろう。



私が、思い出したのは、ジョイスの小説である。
「機械という名の詩神」中で、ヒュー・ケナーは、「若い芸術家の肖像」を引用しながら

通常なら、読み手と書き手の共通基盤をなすような、文学作法に則った、ほとんど気づかれない形の形式が姿を消している。普通、語り手は、この共通基盤を足場に、登場人物の奇妙な振る舞いの意味を説明したり、引用符を用いた台詞を挿入してある人物に自分の振る舞いについて語らせるなどして、読者に援助の手を差し伸べるはずである。しかし、語り手による語りという形式が姿を消すということは、実際問題として、語り手も姿を消したことを意味する。そうなるとわれわれは、テクストが暗に示すもの―――中略―――を自力で読み解かなくてはならない。    
                 ケナー・前掲書    p87


ケナーは言う。「ただひとり、ジョイスだけは、印刷物にものを書くということの意味を最初から理解していたように思える。」 ケナー・前掲書    p90


読者はどこにいるのか--書物の中の私たち (河出ブックス)

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教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

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1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

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1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

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機械という名の詩神―メカニック・ミューズ (SUPモダン・クラシックス叢書)

機械という名の詩神―メカニック・ミューズ (SUPモダン・クラシックス叢書)

未完のテクスト


ソーントン不破直子著の「ギリシアの神々とコピーライト」は、西欧における「作者」の概念の変遷を包括的にたどれる好著だ。

著者は、ギリシャ古典・聖書の時代から「作者」は、神の代理であったということから説く。
ルネッサンス期以降自立した「作者」が誕生したという著者の主張は、ペトラルカ他を論じながら、すでに見てきた。
ソーントン不破直子の主張の中で、注目したいのは、作品の中に書かれる「対象」についてである。


ギリシア古典における「ミメシス」は、模倣し表現すべき何かが「作者」の外に存在していることを前提といていた。つまり「作者」自身には表現すべき「内面」などなかったのである。西欧において、個人の―――具体的には自己の―――「内面」が個別の新奇なものとして発見されるということは、アリストテレス以来の革命的な認識の変化である。             p58


神の代理人であれば、取り上げなければならない対象は、自己の外部にあり、「作者」は、それを忠実に、見事に表現し、伝達することに意味がある。しかし、ルネッサンス期にいたって、自己の内面を描くという、新奇な発想が生まれたというのである。

そして、ソーントン不破直子は、それを始めた人物まで特定する。

 多くの文学ジャンルが、その誕生の時期、ましてや創始者―――最初の作者―――が特定できないのと対照的に、この自己の「内面」を表現することに特化したジャンルは、いつ、誰によって始まったかがはっきりしている。それは、シドニーが「詩の弁護」を書いていたと同じ頃、フランスにおいてミッシェル・ド・モンターニュ(Michel de Mnotagne 一五三三―九二年)の『随想録』(Essais 一五八〇年初版以後加筆を続け、一五八八年など改訂版)によって始まった。
                            p58〜59


自己の内面を表現するという行為と、それ以前の自己の外部に、「神の秩序」としてあったものを表現、描写するこういとの間には、とてつもない隔たりがある。
つまり、「観察するもの」と「観察される者」(対象としての「自己」と「作者」)が、同一人物の中で、分裂してしまうことが必然化するわけだ。

自己の「内面」が観察できると認識することは、自己の中に、「観察する自己」と「観察される自己」という二つの個別の存在を認識することである。この意識は、「作者」という概念に飛躍的な変化をもたらす。すなわち、書き手は自分のことを書いていながら、自分を他人のように観察、描写している。「作者」と題材としての自己との間にはっきりとした距離があるのである。題材である自己がいかに怒り、悲しみ、喜び、考えようとも、「作者」である自己はそれを冷ややかに観察、分析、判断して描写できる、つまり統一された一個の主体としての自己は消えたのである。                                       p62


「観察する自己」=「作者」とは、誰だろう? あるいは、どの高みに立っているのだろう?


おそらく、それは、「作者」とその生産物であるテクストの関係に見合っているはずである。
その距離は、印刷され、固定されたテクストの集合体としての「書物」との距離である。

しかし、固定された瞬間、テクストは、「観察された自己」を裏切り続ける。

 自分を含めた万物の無常・相対性―――この理念は『随想録』全編に流れている強力な傾向であるが、これはまた、モンテーニュの言語に対する懐疑の基ともなっているように思われる。彼が読者に伝達したい事柄は常に変化してゆくものであるのに対し、その表現媒体たる言語は、その動きを常に静的・絶対的に固定してしまう機能を有しているからである。動きは言語によって表現された瞬間に、動きでなくなってしまう。言語にはもはや固定した静的な意味がついてしまい、自己の変化に富んだ「内面」を表しきれない。このディレンマをモンターニュ彼の最長のエセー「レーモン・スボン弁護」の中で、ピュロン学派の哲学者たちの言葉を借りて詳説している。こうしてモンテーニュは、この自己の「内面」を含めた万物の変化に忠実であろうとし、それを言語で表現する「作者」であろうとする瞬間に、その言語そのものを否定しなければならなくなるのであった。                     p61

と、ソーントン不破直子は指摘し、モンテーニュ自身の言葉を引用する。

わたしは本体êtreを描かない。推移passageを描く。一年ごとの推移でも人々のいう七年ごとの推移でもなく、毎日、毎瞬の推移を描くのだ。   p62


推移を描くなら、テクストは永遠に固定されず、書き続けられなくてはならない。
実際、モンテーニュは、死の直前まで、テクストを直し続けた。


宮下志朗は、モンテーニュの完訳を始めるに際し、『エセー』のテクストについて語っている。


従来最終テクストと考えられてきた、「ボルドー本」(モンテーニュの自筆の加筆がある)に対し、編者の恣意的な編集があるとされてきた1595年版を選んでいる。
テクスト・クリティークに関し、専門家の論争を判断することはできないし、詳しくは宮下訳・第一巻所収の『エセーの定本について』を参照いただきたいが、いずれにせよ「観察される自己」を書き始めたときから、モンテーニュのテクストは完結することなく、浮遊を続ける。
そしてそれは、編者や校訂者などの他者、そして読者によって、その死後に至っても続くのである。

 言語を相対化する、ということは、言葉の意味をその時々の状況によって変える、ということである。テクストであるなら、補筆によってコンテクストが変わると、もとあった言葉の意味がそれに応じて変わるということである。「作者」は主として連想によって、コンテクストを変え、言葉の意味を変えるのであるが、この言語の相対化は「読者」を巻き込むことを忘れてはならない。すなわち「読者」も連想の力を駆使して、新しい意味を読み取るのである。『随想録』は、そのような「読者」の意味生成への参加を期待している。   p64


ペトラルカが、自己のテクストの「同一性」を維持しようと腐心し続けてきたことをかつて見てきたが、「作者」の誕生は、逆にテクストの「未完」性を生むことになったといえる。



エセー〈1〉

エセー〈1〉

発見された読者

バルザック、ユーゴ、ジョルジュ・サンドジュール・ベルヌ、ドーデ、ボードレール、ゾラ、ユイスマンスetc.…。
19世紀の編集者・出版社の経営者、さらにあわせて児童文学者だったエッツェルの生涯を語る大部の本は、その登場人物の多彩さだけでも、十分に興味を引く。
ロマン派から、後期ロマン派、自然主義の萌芽まで、エッツェルという編集者は、フランスの文学が爆発的に良質な作品を量産する場面に立ち会った編集者であった。


また、この時期のフランスは、七月革命二月革命、第二共和制、第二帝政、パリコーンミューン等々、政治の激動期でもあった。


一方、19世紀フランスの出版業は、活況を呈する。Hachette、Calmann-Lévy、Garnier Frèresなど、今日に続く出版社が登場したのは、この時期である。


世界的な大作家が次々に登場したから、出版界は発展したのか? あるいは、出版界が賑わったから、大作家が生まれたのか?
このふたつが、絡まるようにフランス19世紀文学は生まれたのだろうが、ここで注目したいのは、出版業が殷賑を極めた別の要因である。


私市保彦は、この本の後半で、エッツェルが出版の歴史に果たした役割として、次の四つの点を上げている。


(1)挿絵
(2)ポスター
(3)豪華本
(4)叢書/廉価本
                      p448


挿絵について見ると、もちろん挿絵自体はこれ以前から存在したのだが、この時期大きな技術的な進歩があった。

 挿絵が新技術による木版画でなされるようになったということも、新しい流れに拍車をかけた。それまでは、本の挿絵は石版画や銅版画によるものが主流であった。ところが、目のつまった木にビュランという先が菱形の鑿で彫るビュラン彫りの技術が一八二〇年頃イギリスから輸入されたということがあって、それまで柾目の木に彫刻刀で彫られていたのが、ビュラン彫りの制作法で、これまでより精緻で長持ちし、活字の頁のなかに挿絵の版をしっかりはめこむことができるようになり、これも挿絵の時代の到来にはずみをつけたのである。
(略)
 ノディエの画期的な著作からはじまった挿絵本の刊行は、やがて、ジグー挿絵『ジル・プラース』(一八三五)、ジョアーノ挿絵『ドン・キホーテ』(一八三六)、グランヴィル挿絵『ラ・フォンテーヌ寓話』(一八三六、一八四〇)などの代表的な刊行をうみだした。エッツェルが企画したバルザック『人間喜劇』でも、ベルタール、ジョアノー、ガヴァルニー、メソニエなどの挿絵画家の絵がいれられた。さらに単行本より定期刊行物で挿絵は大きな役割を果たし、「挿絵マガジン」(一八三三年発刊)、「家庭博物館」(一八三三年発刊)、「イリュストラシオン」(一八四二年発刊)、「挿絵世界」(一八五一年発刊)などつぎつぎに刊行されて、その隆盛は写真の時代まで続くこととなった。
                              p450


エッツェル書店の最大の売り物は、ジュール・ヴェルヌの作品であった。この本に、挿絵は、欠かせないものとなっている。

 ジュール・ヴェルヌの『驚異の旅』は、ダイナミックな挿絵と切りはなすことができない。読者は文章を読みながら、冒険や未知の国や空想的な乗り物を挿絵でたしかめて、また想像力をふくらませるようになる。    p448


この挿絵本の印税をめぐって、ヴェルヌとエッツェルの間に問題が起こるのだが、それはともかく、挿絵は、ヴェルヌの作品の販売に大きく貢献したに違いない。とりわけ、子供たちに。


エッツェル書店のポスターを見ることができる。
http://www.julesverne.ca/jvhetzelposters.html
1880年、1882年、1890年のポスターにとりわけ顕著なのだが、販路拡大のためのポスターの狙いは、子供たちであるのがわかる。


フランスで、クリスマスに子供にプレゼントをあたえる習慣は、アメリカから19世紀末に導入され、20世紀に入って浸透し、第2次大戦後に今日のように定着した。カトリック国フランスでは、聖ニコラウスを商業主義に使うことの反発があり、1951年には、ディジョンでサンタクロース人形を火あぶりにさえしている。(クロード・レヴィ=ストロース『サンタクロースの秘密』参照)


以上は余談だが、19世紀、子供へのプレゼントは「お年玉étrennes」であった。

いわゆる「お年玉本」(livres d’étrenne)といわれている豪華本をエッツェルはおびただしく出版した。しかも、その中身がヴェルヌ本などの時代に即した革新的なものであったことは、特筆すべきである。     p460


ここでも、子供たちをターゲットにしている。


ヴェルヌの本を多く出していたエッツェル書店だからこうなのではなく、アシェットは、1857年に「子供週刊誌」を発刊しているし(『読むことの歴史』 p471)し、ジュール・ヴァレスは、エッツェルとアシェットの「お年玉本」の批評、比較をしている。(『名編集者エッツェルと巨匠たち』 p463)


この時期、出版業が活況を呈したのは、それまでの時代に考えられなかった子供をはじめとした新規読者の開拓、確保にあったことが分かる。


たとえば、ポスターの発達、普及を促したリトグラフの手法は

一八六五年以降、ブリッセ石版印刷工房が、ゼーネフェルダーの愛弟子のエンゲルマンが開発した多色刷りの石版画を改良して、美麗な多色画を安価に量産できるようにした。そこに多色石版画の製作者ジュール・シェレがあらわれて、ポスターの黄金時代が出現した。
 やがて、マネ、ドガロートレックドーミエなど、多くの画家が石版画に手を染め、その流行のなかで、シェレは『踊り子の恋人』(一八八八)、『ムラン・ルージュ』(一八八九)、『パリの公園』といったポスターの傑作をつぎつぎと印刷していった。そして、時代が移って、ミュシャなどのアール・ヌーヴォーの時代が到来する。   p458


と発展していくが、同時に挿絵入りのモード誌を普及させていく。1866年に『絵入りモード』誌は、発行部数五万八千部に達した。(『読むことの歴史』 p452)


さらに、廉価本である。

格安本の普及が決定的となったのが、イギリスのスミス書店が駅で本の販売をはじめたのを取り入れたアシェット社の「鉄道文庫」である。一八五二年からから刊行され、すでに完備されてきた鉄道網とともに全国にひろがった。そして、そのあとを追うように五五年からミシェル・レヴィー社も「旅人文庫」をはじめた。同時に、一八五五年から刊行された同じくミシェル・レヴィー社の一巻一フランシリーズといった廉価版も、本の市場をまきこんでいった。       p468


こうした廉価本によって、庶民層という広範な読者が開発されていく。


19世紀、読書の国フランスを作ったのは、実はこれらの新規読者層であった。


エッツェルは、1844年に作家スタールとして書いた『パリの悪魔』中の作品で次のように書く。

出版は「手を加えることによって原価の価値の四分の三が消えてしまう唯一の産業ではないか」、とこぼす。あげくのはて、「フランスという国はヨーロッパでいちばん機知に富んだ国であるが、またいちばん本を読まぬ国でもある」、とフランスの読者に八つ当たりする。むろんここぞとばかり、エッツェルはぐちをこぼしているのである。    p105

19世紀後半は、彼自身が、その状況を変えていった歴史だった。


名編集者エッツェルと巨匠たち―フランス文学秘史

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サンタクロースの秘密 (serica books)

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読むことの歴史―ヨーロッパ読書史

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  • 作者:ジェシャルティエ,グリエルモカヴァッロ,Roger Chartier,Guglielmo Cavallo,田村毅,月村辰雄,浦一章,横山安由美,片山英男,大野英二郎,平野隆文
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「多くの書を作れば際限がない」 伝道の書

アルベルト・マングェルの本は、『世界文学にみる架空地名大事典』にしても、『読書の歴史─あるいは読書の歴史─』しても、読む者を(少なくとも私を)幸福な気持ちにしてくれる。
ある人々はペダンチックと言うかもしれないが、その博識には圧倒され、「読む」こと(「読む」という行為のもつ)の幸福感に浸れるのだ。

思春期のころの私は、夜ごとに部屋の棚が、まるでみずからの意志をもつかのようにいっぱいになり、どんな小さな隙間さえも埋められてゆくという情景を、一種の怖れを持ってうっとりと眺めたものである。新しい本は、大昔の写本を集めた図書館のように平積みにされ、しだいに高くなっていく。日中は与えられた場所にきちんと置かれていた古い本が、二冊、四冊と積み上げられ、新しい本の場所を侵食する。床一面、部屋の片隅、ベッドの下、机の上など、あたり一面、本が柱のように積み上げられてゆく。ゆっくりと成長していくありさまは、まるで寄生生物の森を思わせ、ぐんぐんと育っていく幹は私を追い出そうとしているかのようだった。
                    『図書館・愛書家の楽園」』p66~67 


実際、この情景は、今私がこれを書いている部屋そのものだ。
寄生生物の森のただ中で、私は、本を読み続けている。
あるいは、その森の木々をわずかずつ食い荒らす、別の生物なのかもしれないと自嘲してしまう。

マングェルのサイトを見ると(http://www.atelieraldente.de/manguel_0h4/photos/index.html)、その書斎は垂涎ものである。
同様に、三菱ホームのCMの、『図書館のある家』(http://www.mitsubishi-home.com/cm/)が、テレビで流れるたびに、食い入るように見てしまう。どんな本が並んでいるか(それは、河出書房の『今日の海外小説』のシリーズであったり、白水社の『小説のシュルレアリスム』のシリーズであったりするように見えるのだが)、魅入ってしまう。
しかし、マングェルは言う。

どんな図書館でも、空いた棚はいつまでも空のままではない。自然と同じく、図書館も空白を嫌うのだ。    
                    『図書館・愛書家の楽園」』p66


私は何故、かりにこの先毎日1冊ずつの本を読みつづけても、余命を冷静に計算すれば、まず読み切れないだろう本の森に囲まれながら、なお本を買い続け、細々と読みつづけるのだろうか?

フローベルの描く描くふたりの道化が発見したのは、私たちにとってつねに周知のことでありながら、めったに信用しない事実だった。つまり、集積しただけの知識は知識にならないということである    
                    『図書館・愛書家の楽園」』p86

いうまでもなく、「フローベルの描く描くふたりの道化」とは、「ブヴァールとペキュシェ」のことだが、このマングェルの指摘は怖い。


しかし、かりに十全な(スペースの問題を考慮しない)「理想の図書館」があるとしたら、それは、世界そのものになるだろう。
何度もこのブログで書いたように、ダランベールの夢とは、世界を記述し、集積するという不可能性にあったのだと思う。

「図書館は秩序と混沌の場というだけではない。それは偶然の場でもある。書架と記号を与えられたあとですら、本はそれ自身で可動性を保っている。本ならではの計略をもって、思いがけない陣形を築きあげる。類似性、年代記のない系譜、共通の関心やテーマといった秘密のルールに従う。目につかない片隅に放置され、またベッドサイドに積みあげられ、あるいは段ボール箱のなかや棚の上で、本はいつか遠い将来、整理され、分類されるのを待っているが、その時はなかなかこない。本のなかに貯蔵された物語は、ヘンリー・ジェイムズのいう「共通の関心」のまわりに群がる。「共通の関心」は往々にして読者の目にとまらない。「真珠をつなぐ糸、埋もれた宝物、絨毯のがらにまぎれた形」なのだ。
                    『図書館・愛書家の楽園」』p151


私たちは、毎日、この混乱の中に「絨毯のがらにまぎれた形」を偶然発見する。
それは、ことの当否は置くとして、少なくとも私なりの仕方で、世界を再解釈していく手だてであろう。
もう一度言えば、それは不可能性への夢だとも言える。


 伝道の書(あるいはコヘレント書)のよく引用される一節―――「多くの書を作れば際限がない」―――には二つの解釈がある。一つは、そのあとに「そして、多く学べばからだが疲れる」という言葉が続くとする解釈であり、本をすべて読みつくすのは不可能だというあきらめをあらわす。もう一つの解釈は、歓喜をあらわし、神の恵みに対する感謝の祈りとみなすものである。この場合、「そして」を「しかし」と読みかえ、「しかし、多く学べばからだが疲れる」とつなげる。(略)メソポタミアにおけるある日の午後を端緒として、数えきれないほど大勢の読書家が「多くの書」にたどりつこうとして、「からだが疲れる」のも厭わず、飽きもせず、道を開きつづけている。読書家たちは、本のなかに心引かれる魅力を見つけ、その魅力によってページをしっかり自分のものとするが、そのページは魔法によって、一度も読まれたことのないかのように、手垢のついていないみずみずしいものとなる。図書館や書斎はこのような魅力の詰まった穴蔵であり、宝の箱なのだ。     
                    『図書館・愛書家の楽園」』p199〜200


私たちは、本のなかで「過去」に出合うのではなく、「未来」のアスペクトに出合うのである。
本を読むとは、時間について、問うことでもあるのだから。


図書館 愛書家の楽園

図書館 愛書家の楽園



読書の歴史―あるいは読者の歴史 (叢書Laurus)

読書の歴史―あるいは読者の歴史 (叢書Laurus)



世界文学にみる 架空地名大事典

世界文学にみる 架空地名大事典


ブヴァールとペキュシェ (上) (岩波文庫)

ブヴァールとペキュシェ (上) (岩波文庫)

無聊について

 私は基本的に時間に対してとてもケチなのです。ですから、時間を投資したものについては、何らかの形で回収しようとします。本についても同じで、「読み終わっておしまい」では、本代も時間も、もったいないと思うのです。
                    勝間和代 『読書進化論」』p21


勝間和代の読書法について、とやかく言うことはない。
基本的に読書自体は、現在では個人の行為であり(口誦が中心であった時代については、すでに論じてきた)、その限り、いかなる読み方も許容されるはずである。実際、勝間和代自身、「楽しむために読むエッセイや小説などは別です。」(p73)に書いていることを付記しておく。


私に関心があるのは、この「ためになる読書」が、いつどのように、成立したかの手がかりを知ることである。


ガブリエーレ・シュトゥンプは「読書行為と憩い」という論文の中でJ・A・ベルクの『書物を読む技術』(1799年)を引用している。

「単に時間を潰すために行なう読書は不道徳である.なんとなれば我らが生は毎分ごとに義務に満ちており,それをおろそかにすることは,罪人の烙印を押されることなしにはゆるされぬことだからである」
                『シリーズ言語態3 書物の言語態』p233


プロテスタンティズムの(あるいは資本主義の)倫理を強く感じさせる文言だが、本来、「読書」という行為は生産性の観点からいえば、一部の知識人の場合を除き「不道徳」なものであったことは、想像に難くない。


日本でいえば、「読み聞かせ」という音読が主体であった時期、その行為は「憩い」であった。あるいは、「無聊」を慰めるといっていいかもしれない。六代目圓生は、「浮世床」の中で、「そんな皮肉なこと言わずにさァ、みんなここにいるやつァ退屈をしてェるんだから……読(や)ってもらえませんか?……だめ? どうしても」(『古典落語 圓生集(下)』203p)と語っているが、要は退屈しのぎであった。


黙読が読書の方法の中心となった後も、部屋にこもり、黙々と本を読む少年・少女は、きみの悪い存在であったであろうし、商家や農家にとって、生産性に寄与しない「読書」という行為は、悪であったはずだ。

 憩いは古典古代以来,哲学的観想という生の形式と見なされ,質的時間の諸観念と結びついてきた.ゆえにそれは,労働時間の単なる残余としてとらえられる暇で自由な時間とは無縁である.これに対して,憩いの不完全な形態である無聊は,徹底した享楽主義,浪費,自堕落などを指す.しかしこの両者が1800年前後には,共に勤労倫理の側からの弾劾に晒されることになる.この倫理は,あらゆる非労働的存在に,怠惰および時間と金銭の浪費という咎を等しく負わせることをやめないのである.
                『シリーズ言語態3 書物の言語態』p231


こうした「倫理」に対し、「読書」は、自らの存在理由、「価値」を主張しなくてはならない。
『それが「人格的個性」の創成に貢献』(前掲書p231)するという想定であり、シュトゥンプは、これこそが1800年前後「人類的普遍的」基準となったと書いている。

すなわち,文字どおり私的で,他から隔絶された領域である読書行為の「遮断・庇護された空間」は,個性の理想的形象となる.
                『シリーズ言語態3 書物の言語態』p232


読書によって、人格を形成し、教養を得ること。
「ためになる読書」が、誕生したといえる。


しかし本当は、「遮断・庇護された空間」であるが故に、逸脱は起こるはずだ。
シュトゥンプは、この論文で「病的な読書嗜好」として、ゲーテを論じていくのだが、ドイツ文学に暗い私は、その先の当否を論ずる能力がない。
いずれにせよ「ためになる読書」が、読書という行為の理由付けに必要となり、いまもその理由付けが効力をもっているといえる。
そして、その理由付けからの逸脱こそが、「読書のユートピア」ではないかという、予感が、私にはしている。



文脈からすれば、正しい引用ではないが同じ本の中でベルナール・シュティグレールが次のように述べている。

したがって「読むとは何か?」という問いは「時間とは何か?」ということを意味する
                『シリーズ言語態3 書物の言語態』p301



書物の言語態 (シリーズ言語態)

書物の言語態 (シリーズ言語態)

百科全書について

web2.0」と一括して総称されている動きに関して、昨年来の礼賛の本に加え、批判的な本が書店で目立つようになったと感じている。


手に取って読んだ本は、「小山 雄二著 Googleが消える日」・「アンドリュー・キーン著 グーグルとウィキペディアYouTubeに未来はあるのか?」・「ピエール・アスリーヌほか著 ウィキペディア革命」などだが(「ジャン‐ノエル・ジャンヌネー著 Googleとの闘い」は、読了していない)、「集合知」と一世紀にわたって獲得してきた、「著作権」をはじめとする従来の権利とが、対立しているようにも読める(とりわけアンドリュー・キーンの本には、その危機感が強い)。


web2.0と呼ばれている動きを、安易にあるいは無条件に礼賛しようと、私は思わない。また、ことさらに批判的になろうとも(なれるとも)思っていない。


百科事典に関して、「書物」という形態がふさわしくないということは、かなり前から考えてきた。かりに、百科事典が「巻物」であったとしたら、私たちは、使うたびに途方にくれたであろう。
知識を細分化し、必要なものだけを必要なときに取出すには、「書物」という形態は、向いていない。
しかしその事だけであれば、百科事典が、CDやDVDとなったり、web上に置かれたりした時点で、解決済みである。


ウィキペディアに対する批判は、誤情報・悪意ある書き込み、あるいは記述自体が固定せず「フロー」の中にあることなどが、上記の本の中で多々書かれているが、とりわけヨーロッパ・フランスでは、その体系性のなさに苛立っているように感じられる。

ダランベールディドロの百科全書の基礎にあるコンセプトとウィキペディアのそれとはまったく違っています」。「ウィキペディアは絶えず書きこみが加えられる進行形の作品で、それが長所であり短所となっていますが、ディドロの百科全書の基礎は知識の体系化です。それは百科全書の趣意書で特に説明されています」。
                    『ウィキペディア革命」』p81~82 


「五〇年以上も仏語辞典ロベールの編集に携わってきた語彙学者で歴史学者のアラン・レイ」(p80)は、指摘する。


手元に「百科全書趣意書」はないのだが、たしかにダランベールは「百科全書序論」の中で、「百科全書として、人間の知識の秩序と連関を可能な限り明らかにすべきこと」(世界の名著35 p420)と記している。
また、すでにベンヤミンにふれながら、この問題はこのブログでも考えてきた。


今、私たちが目にしているのは、「体系化」しない知識である。ここに問題の核心があるように思える。


すべての「体系」は、目の中のうろこのようなものだ、と構造主義ポストモダンの思想のように語ることはできる。
また、

こうしたポストモダン自体、多国籍産業経済、後期資本主義の持つ特性に規定され
                    『ウィキペディア革命」』p144


という批判も、考えなくてはならい。


ただ、事実としてその流れが続いていて、これからも続くだろうということには、自覚的であろうと思う。



Googleが消える日―情報学序説

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グーグルとウィキペディアとYouTubeに未来はあるのか?―Web2.0によって世界を狂わすシリコンバレーのユートピアンたち

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ウィキペディア革命―そこで何が起きているのか?

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  • 作者: ピエールアスリーヌ,フロランスオクリ,ベアトリスロマン=アマ,デルフィーヌスーラ,ピエールグルデン,Pierre Assouline,B´eatrice Roman‐Amat,Delphine Soulas,Florence O’Kelly,Pierre Gourdain,佐々木勉
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/07/25
  • メディア: 単行本
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