2006-01-01から1年間の記事一覧

形態/内容の二分法(1)

前回、電子書籍に関して、いささか舌足らずなことことを書いた。 直後に読み始めた長谷川一の「出版と知のメディア論」に、問題の本質がより正確に論じられているのを知った。 まず長谷川は、「コミュニケーションは『伝達』か」、という問いから始める。 一…

「物」としての書物

電子書籍が取りざたされて、すでに10年以上を経過した。 何やらその間、十年一日、同じような話を聞かされている気がする。 この紙の本の全盛期が終わろうとしているようだ。 これをいち早く察知したのは米マイクロソフト社のディック・ブラス副社長(当時)…

四十二行聖書は何部刷られたか?

出版不況と言われて、すでに久しい。 「出版」という業態に、構造的問題があるのだ、と直感的には感じている。 「不況」といわれながらも、毎日、夥しい「書物」が生産され、瞬く間に消えていく。 数多くの出版社が、「自転車操業」的に書物を出版し、消費さ…

聖書はいかに読まれたか?

ドイツに印刷術が出現したのは、言葉のすぐれた意味における本が、本の中の本[聖書]が、ルターの聖書翻訳によって民衆の財産となった、まさにその時代のことだった。 (ベンヤミン・コレクション3 051〜052p) 活版印刷以前、あるいはルターの「聖書」以前…

整版本

田中優子の「江戸はネットワーク」を読んでいた。 広範に江戸、とりわけ天明期の戯作者・画家・俳人(知識人という<近代的呼称>はそぐわない気がする)などを取り上げた本だが、その中に黄表紙に触れた箇所がある。 絵と文字が同じフレームの中に別々に描…

一方通行路(4)

フロベールに「ブーヴァールとペキュシェ」という、不思議な小説(未完)がある。 ブーヴァールとペキュシェは、貧しいパリの筆耕生である。 ブーヴァールが遺産を得たことで、田舎に土地を買い共同生活を始める。 このふたりの生活は、あらゆる「書物」を読…

一方通行路(3)

「本の中の本=聖書」が、「真理」の<喩>から転落した時点で、ヨーロッパ近世が発見したのは、「科学」であった。 あるいは、自然と言いかえてもいい。 それは、「神は数学の言葉で自然の書物を書いた」。というガリレイの主張に結晶している。 (書物の図…

一方通行路(2)

時代は、ルネサンスとちょうど対のような関係にあるが、とりわけ、書籍印刷術が発明されたときの状況と対立している。つまり、偶然であったか否かはともかく、ドイツに印刷術が出現したのは、言葉のすぐれた意味における本が、本の中の本[聖書]が、ルターの…

一方通行路(1)

原克の「書物の図像学」を読んでいたのだが、文中に何度か引用されるベンヤミンの文章に惹かれて、つい「ちくま学芸文庫 ベンヤミン・コレクション3」所收の「一方通行路」を読み出してしまった。 「一方通行路」は、ベンヤミンの前期と後期をつなぐ、「<…

西洋書物学事始め

高宮利行の「西洋書物学事始め」を読んでいて、ふたつのことに気づいた。 ひとつは巻頭の口絵にある、イギリス「ヘリフォード大聖堂」の図書館の写真。 「書物」が鎖につながれているのが、はっきり分かる。 ヘリフォード大聖堂、図書館のURLは、以下の通り …

樽詰めの「書物」

香内三郎の「活字文化の誕生」は、イギリスの文学・歴史に疎い、私のようなものには学ぶことの多くある本である。 ピューリタン革命の経過ひとつをとっても、よくわからないのである。 恥じ入るしかない。 この本の第一部は、「西洋印刷者伝説」と題され、グ…

鎖でつながれた本(2)

「鎖」でつながれた「書物」は、どう読まれていたのか。 まず、「鎖」の両端の片方は、「前小口」に固定されていた。 もう一方の端には環が取り付けられ、鉄の棒(木の棒では鉄の環によってすり減ってしまうため)に何冊分かずつ通されて、「書物」を保存し…

フィリップ・オーギュストの城壁

早めの夏季休暇を取って、パリに行っていた。 ちょうど、ワールドカップの対ブラジル戦・ポルトガル戦と続く期間で、勝つに連れパリの町の熱気が上がっていくのがわかった。 (この期間、フランスは熱波に襲われ、パリで連日33℃を越える異常な暑さでもあった…

鎖でつながれた本

本の各部の名称の中に、奇妙な部分がある。 それは、「前小口」のことだ。 「前小口」とは、有限会社イフのホームページ内の「印刷・製本辞典」によれば まえこぐち (前小口) fore-edge/front仕上げ断ちした本の綴じ目と反対側の切り口。単に「小口」とい…

印刷されたページの視覚的装置

永嶺重敏が指摘する「音読」の証拠は、列車内の他、新聞縦覧所・監獄・学校寄宿舎などである。 特に学校寄宿舎では「音読室」が設けられたり、「黙読時間」と「音読時間」を分離するなどの方策がとられている。 いずれにせよ、20世紀はじめまで、日本の読書…

公共の場所での音読

永嶺重敏が『雑誌と読者の近代』で引用している、明治期の汽車の車内での音読に関する新聞・雑誌記事は、現在と異質の「読書空間」が日本にあったことを教えてくれる。 「汽車の中に入れば、必ず二三の少年は、一二の雑誌を手にして、物識り貌に之を朗唱する…

声に出して読みたい日本語

「現代では小説は他人を交えずひとりで黙読するものと考えられているが、たまたま高齢の老人が一種異様な節回しで新聞を音読する光景に接したりすると、この黙読による読書の習慣が一般化したのは、ごく近年、それも二世代か三世代の間に過ぎないのではない…

『浮世床』の「音読」

落語の話から始めたい。 『浮世床』という話がある。 江戸後期とおぼしき時代(おそらく文化文政以降)、髪結床に集っている庶民の滑稽譚が語られる落語である。 その中に、軍記物の本を音読する場面がある。 六代目三遊亭圓生が演じたその場面は、『古典落…

自ら「書物」を作る「作者」

私事を言えば、出版社に勤務し原稿を書くようになったのは、1970年代の後半のことだ。 原稿を書き始めるにあたって一番最初にする作業は、レイアウト用紙に指示された字数・行数通りに、400字詰め原稿用紙に線を引くことであった。 分かりにくいかも知れない…

漱石の「本棚」

紅野謙介は、「書物の近代」の中で、漱石の「書架図」に注目している。 『夏目漱石遺墨集』に収められているこの絵は、紅野よれば以下のようである。 (「書物の近代」93pにモノクロ図版が掲載されている。) 「書架図」はその題が示すとおり書斎の本棚と壁…

「吾輩ハ猫デアル」の価格

樽見博「古本通」は、現在の古本の市場、流通をコンパクトにまとめた興味深い好著だが、その中に気にかかる一文を見つけた。 夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』は、現在紛うことなき国民文学である。しかし、この明治期の豪華な本は、刊行当時三冊で二円七十五銭…

「作者」の完成

モノとしての「書物」とそのテクストと「書いた人」(「作者」)は不可分のものとしてルネッサンス期と活字出版の出現により誕生した。 観念としては、その通りである。 しかし、活字出版の発展は、同時に現象としては、「書物」と「作者」を乖離させる。 お…

「作者」の誕生

現在私たちは、ある作品を書いた人(作者)とそのテクスト(「書」)、完成した「物」を不可分の一連のものとして「書物」を捉えている。 この認識の背景には、作者のオリジナルのテクストと「書物」に書かれたテクストが同一であるという思いがある。 しか…

読者の誕生

22篇のエッセイと小論からなるこの本は、一貫した論考が書かれた研究書ではない。しかし通読すると、ヨーロッパの書物史の流れが、概観できる。 この流れの中で重要なのは、3つのポイントである。 最初に、「音読」から「黙読」への転換・「読者」の出現、 …

このブログについて

四半世紀あまり、雑誌の編集を職業としてきた。主に女性誌を作り、ここ3〜4年は、雑誌社のwebマガジンを作っている。 日々の仕事に追われながら、現在私たちが手にし、私の場合は作り、一方で大量に読む現在の「書物」という形態・性質が、不変のものでは…