鎖でつながれた本(2)


「鎖」でつながれた「書物」は、どう読まれていたのか。


まず、「鎖」の両端の片方は、「前小口」に固定されていた。
もう一方の端には環が取り付けられ、鉄の棒(木の棒では鉄の環によってすり減ってしまうため)に何冊分かずつ通されて、「書物」を保存しておく棚に固定された。
シャワーカーテンの上部をイメージすればいいだろう。


「書物」は、この鎖の長さの範囲でしか読めなかった。
仮に写本のためなどで許可を得て、他の場所で使用する際は、鉄の棒をはずし、環を順に外す必要があった。
この場合、目的の「書物」を取りだした後、鎖がからまないように注意しながら、もとの順に環を戻していく、めんどうな作業が必要であった。


そのため、原則的には、「書物」は、鎖の長さの範囲で読まれた。
つまり、書見台に固定されていたわけだ。
「書物」を使用しない時は、この書見台の上に、表紙を上にして置かれていた。


本が、「鎖」で書見台に固定されていることで、部屋のレイアウトが決まった。
なぜなら、第一に採光を考えなくてはならないからだ。
「鎖」でつなぐほど貴重な本を読むのに、火気は禁物であった。
自然光を最も利用しやすいよう、書見台は窓に対し直角に置かれた。

新しい本が加わり、図書館の蔵書数が増えるに従って、書見台システムに重圧がかかるようになった。図書室全体に書見台が限度いっぱいまで埋まり、その書見台もそれ以上詰められないほど本で満たされるときが当然やってくるからだ。(本棚の歴史 78p)


時代や洋の東西を問わず図書館にせよ、単なる市井の本好きにせよ、必ず直面する問題は、増え続ける本の収納場所である。
まして、写本から活字印刷へという中世からルネッサンス期の大転換を経て、収納する本は飛躍的に増えた。


とられた解決策は、書見台に棚を付けることだった。
まず足下に、次いで書見台の上に、今日の本棚のような大きな棚があつらえられる。
最初は、棚に平置きにしていたようだが、スペースの有効利用のためには、縦置きの方がいい。
しかし、現在のように、「背」を見えるように置くと、前小口に固定された鎖がからんでしまう。
従って、「前小口」が見えるように縦置きされたのである。
こちらが、「前」だった。
中世「書物」の背には、現在のようにタイトルが書かれたり、装飾されたりしていなかった。
背は開くための機能、「蝶番」の役割をしていただけだったのである。


しかし、さらに「書物」が増えると、「前小口」が表を向いていては、どこに何があるかが分かりにくい。
しだいに、「背」を装飾しはじめ、タイトル等が刻まれる。
また活字印刷によって、本の希少価値は、中世とは比較にならないほど下がっていく。
「書物」は、「鎖」でつながれなくなったのだ。

大きな図書室で本の背をすべて外に向けて並べた最初の例として、フランスの政治家で歴史家のジャック=オギュスト・ドゥ・トゥー(一五五三〜一六一七)をあげることができる。(中略)少なくともフランスでは十六世紀の終わりにこうした習慣が広がり始めていたことが分かる。十七世紀になると、ほとんどすべての本が背に装飾を施され、文字を刻み込まれるようになった。       (本棚の歴史 138〜141p)


本棚の歴史