樽詰めの「書物」


香内三郎の「活字文化の誕生」は、イギリスの文学・歴史に疎い、私のようなものには学ぶことの多くある本である。
ピューリタン革命の経過ひとつをとっても、よくわからないのである。
恥じ入るしかない。


この本の第一部は、「西洋印刷者伝説」と題され、グーテンベルク・カクストン・プランタンの評伝に当てられている。
カクストンは、ウィリアム・ブレイズの楽しい本「書物の敵」の中で、尊敬の念を持って語られるイギリスでの最初の活字印刷者である。


一番興味を引かれたのは、クリストフ・プランタン(1520?〜1589)でフランス人ながら、当時の大国スペインの支配のもと繁栄を極めたベルギーの国際都市アントワープで出版事業を始め、やがて、国王御用達の印刷・出版業者になった。
宗教戦争が続く中、新教的思想を持っていたらしいプランタンが、旧教の戦闘的護持者スペイン王の御用達としてきわどい綱渡りをしていく生涯は興味深いし、やがて考察しなくてはならないと思う。


クリストフ・プランタンについてはwikipediaに記述がある。


肖像画像は
http://www.catholic-forum.com/saints/ncd06630.htm

プランタンの印刷した本・「人間の救済」は以下で見ることができる。
http://www.lib.tottori-u.ac.jp/collection/emblemindex.htm


プランタンの印刷所は、現在博物館になっており、「世界遺産」となっている。
http://museum.antwerpen.be/plantin_moretus/index_eng.html


しかしこの評伝を読みながらもっとも引っかかったところは、本筋とは全く異なる以下の部分であった。
これはフランクフルトの国際ブックフェア(なんと16世紀からやっていたとは! これも調べる必要あり)に、1579年にプランタンが送った書物の数についての記載なのだが

商品も同ルートで送られ、一五七九年の四旬節のフェアに、プランタンは六樽、五二一二刷(タイトル数、七七)もの商品を送っている。
                          (活字文化の誕生 68〜69p)


「樽」なのである。


実は16世紀、「書物」は、「樽」詰めで、運送されていた。


ブリュノ・ブラセルの「本の歴史」に16世紀の状況に関して、以下の記述がある。

 本は,はるか遠方の地域まで長い時間をかけて輸送された。当時の本は重くて壊れやすい商品であり,たいていの場合,製本前の「刷り本」の状態で運ばれた。重量を減らすためと,顧客がそれぞれの趣味に応じた製本・装幀を施すためである。
                               (本の歴史 082p)


また、このページには「書物」を「樽」に詰めている挿し絵があり、そのキャプションに次のように記載されている。

運送時の損傷を避けるため、本は左の図のように樽に詰めて発送された。
                               (本の歴史 082p)


(セント・ブライド印刷図書館のものと図版出典にあるが、web上では見つからなかった。)
http://stbride.org/


以上の記述から、当時の「書物」が、一冊ごとにそれぞれ異なった製本・装幀を施されていたことも分かる。
これは中世以来の伝統であり、おそらく中世においては、まず内容より装幀で(王侯・貴族などの)興味を引く必要があったことが、反映されているのだろうと思う。
やがて「書物」の大衆化とともに、装幀は簡易になっていく。


しかしいずれにしても、ワインのように樽詰めされた「書物」が、16世紀のヨーロッパを巡っていたと考えるのは、ちょっと楽しい。


活字文化の誕生   書物の敵  本の歴史 (「知の再発見」双書)