四十二行聖書は何部刷られたか?


出版不況と言われて、すでに久しい。
「出版」という業態に、構造的問題があるのだ、と直感的には感じている。
「不況」といわれながらも、毎日、夥しい「書物」が生産され、瞬く間に消えていく。
数多くの出版社が、「自転車操業」的に書物を出版し、消費されることなく(読まれることなく)市場から消える。


次の鹿島茂の指摘は、適切だ。

今は新刊のサイクルが変わってしまったために、新刊としては手に入らないが、古書店に回るほど古くないという本がものすごく増えてきたわけです。数年前にでた本というのが一番、見つけにくくなっている。
                 (「勝つための論文の書き方」 113p)


現在の、日本の出版の流通体制そのものに、問題がある。
不可思議な「錬金術」が、この自転車操業の背景にあるが、ここでは触れない。


さて、グーテンベルクである。
四十二行聖書の発行部数は、いくつだったのだろう?
と、ふと思った。


ヘルムート・プレッサーの「書物の本」は、約二〇〇部と記している。
一方、ブリュノ・ブラセルの「本の歴史 」には、一六〇〜一八〇部とあり、そのうち約五〇部が、現存するとある。


四十二行聖書が印刷されたのが、一四五四年の秋から冬にかけて言われているが(前掲「本の歴史 」)、「書物の出現」(リュシアン・フェーブル、アンリ=ジャン・マルタン ちくま学芸文庫版 下巻 160 p)の中に、一五〇〇年以前の出版総数は、二〇〇〇万冊という驚くべき推定がある。
この時代の、平均印刷部数は、五〇〇部と見積もられている。


だが、実は一五世紀末、「幾人かの大出版業者は発行部数一五〇〇」を達成していた、という記述が、前掲「書物の出現」(下巻 100p)にある。
ルターのドイツ語訳聖書(一五二二)は、初版四〇〇〇部。


しかし

イングランドでも、同じ時期の一五八七年、平均発行部数は一二五〇から一五〇〇止まりで、三〇〇〇に達することは例外であった。
                 (「書物の出現」下巻 102p)


時代を大きく隔てて、

一八世紀に入っても、部数二〇〇〇以下という事例が最も多かった。
                 (書物の出現」下巻 104p)


現在の日本においても、数十万部にいたる印刷部数の本は、出版点数のごく一部に過ぎない。
多くの書物は、三〜八〇〇〇部、初版が印刷され、瞬く間に市場から消えていく。
非常に小さい巨竜の頭と、極端に長い「ロングテール」が存在する。
ルターの時代、一六世紀から、構造自体は変わっていない。
ただ、巨竜の頭の高さが桁外れに高くなり、尾が度外れて長くなった。


この項に、結論はない。
部数の歴史を、調べてみたかっただけである。


勝つための論文の書き方 (文春新書)

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書物の本―西欧の書物と文化の歴史 書物の美学 (叢書・ウニベルシタス)

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書物の出現〈下〉 (ちくま学芸文庫)

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