聖書はいかに読まれたか?
ドイツに印刷術が出現したのは、言葉のすぐれた意味における本が、本の中の本[聖書]が、ルターの聖書翻訳によって民衆の財産となった、まさにその時代のことだった。
(ベンヤミン・コレクション3 051〜052p)
活版印刷以前、あるいはルターの「聖書」以前、ヨーロッパの大部分の人たちにとって、「書物」は、生活と無縁のものだった。
この時期、人々は、はじめて「書物」と直接に出会い、「テキスト」と直接向き合う。
「読者」が誕生したのだが、この「原初」の読者は、「書物」とどう向かい合ったのだろうか?
香内三郎は、『「読者」の誕生』の中で、宗教改革の「反・偶像崇拝」運動とからめ、この問題を示唆する。
いうまでもなく旧約聖書は、中近東の先行文明の影響を受け、「偶像」・「イメージ」を禁止する。
モーゼの十戒は、次のように言う。
あなたはいかなる像(“graven image”)も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形(“any likeness”)も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それに仕えたりしてはならない
(「読者」の誕生 18p)
「出エジプト記」の一説だが、英語の言い回しを確認するため、あえて香内の著書から孫引きする。
プロテスタンの一部、ウィッテンベルク大学でルターの同僚であったカールシュタットは、カトリックの「偶像崇拝」を批判し、教会から「イメージ」を取り除く運動を開始する。
一五二一年の十二月初めから、学生や市民らが教会に押し入って「イメージ」を破壊してまわる。後で全ヨーロッパ的規模に拡がる、イコノクラスト運動の始まりである
(「読者」の誕生 22p)
ルター自身は、この運動に批判的だったようだが、私はここで、プロテスタントや、キリスト教原理主義的な解釈について考えたいのではない。
あらゆる「イメージ」を禁止する「原理主義」的考え方が、「聖書」を読む行為も規定したことを確認したい。
「読む」という行為は、テクストから「イメージ」を喚起することである。
原理主義的解釈を極限まで推し進めれば、「読む」ことによって「読者」の想念に浮かび上がる「イメージ」も否定されなければならない。
内部のイメージが外在化され、「イコン」という形で造形化されるとき「偶像」は生まれるからである。
中世を通じて、聖書の「四つの意味」は、少なくとも教皇グレゴリ以降、同じ権威をもつものとして定式化されていた。「字義通りの意味」(“literal sense”)と「寓話的意味」(“allegorical sennse”)、「類型的意味」(“tropological sense”)と「かくれたる意味」(“anagogical sense”)の四つである。
(「読者」の誕生 73〜74p)
そして、その解釈は、もちろんローマ・カトリックが握っていた。
宗教改革は、これに抵抗する
宗教改革の指導者たちは、この「四つの意味」を攻撃し、一つの意味、「字義通りの意味」だけにしぼろうとした。
(「読者」の誕生 75p)
つまり、「聖書」に書かれたものを、書かれた通りに「読み」、受け入れること。
活版印刷とほぼ同時に始まった個人としての「読者」像は、宗教改革の本来の意図でいえば、「聖書」をそのまますべて受け入れる人々であった。
今日でも、「聖書」を「字義通り」に解釈し、「ダーウィニズム」を教えることさえ拒む人々がいることを承知している。
しかし、初めて「テキスト」に向き合った多くの原初の「読者」は、宗教改革の指導者の思いに反し、それぞれの解釈を始めだす。
「読む」とは、個人のイメージを自然力として喚起してしまうからだ。
「聖書」を読み、その意味が分からない人々は、居酒屋で討論を始めた。
十七世紀中葉のピューリタン革命は、街頭で、宿屋で、居酒屋で、こうした討論を洪水のように溢れさせ
(「読者」の誕生 81p)
「聖書」を「字義通り」に読めば、やがて多くの矛盾が現れ、それはスピノザの宗教批判にまでいたるだろう。
一方、居酒屋で自由に討論すれば、ありとあらゆるイメージが立ち現れ、寓話的意味も隠れた意味も出現する。
聖書に未来のすべての出来事が書かれ、隠されていると主張する本なら、現在でも山のようにある。
人は、「聖書」からでも、ノストラダムスの予言からでも、自由な「イメージ」を引きだし、解釈することができる。
イメージの自由な跳梁がはじまり、テキストは人々の間を浮遊し、近代の「読者」が準備される。
初期の宗教改革のキリスト教原理主義的意図を逸脱して、「読者」は、「読む」自由を伴って誕生する。
- 作者: 香内三郎
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