「物」としての書物


電子書籍が取りざたされて、すでに10年以上を経過した。
何やらその間、十年一日、同じような話を聞かされている気がする。

 この紙の本の全盛期が終わろうとしているようだ。
 これをいち早く察知したのは米マイクロソフト社のディック・ブラス副社長(当時)である。一九九九年にサンフランシスコで開かれた見本市でのことだが「多くの国で二〇〇八年には電子書籍の販売部数が紙の本の販売部数を超えるだろう」と、基調報告で語った。
                 (「ブック革命」 3p)


何をかいわんやである。


確かに電子書籍は、昨年、96億の市場規模になったと言われている。*1
しかし、その実体はコミックス・アイドル写真集・官能小説が主体であり、紙の本を凌駕するといった期待は当面は持てないと思う。
携帯配信に群がり、あたかもケータイが「書物」に取って代わるといわんばかりの人々がいるが、しばらく前のPDAや読書端末の登場の時も、騒ぎ回ったのは同じ人々だったことを記憶しておいてよい。


中西秀彦著「本は変わる!」は、印刷の現場にいる人が書いた本だけあって、今にも電子書籍が世間に蔓延するといった「うわついた」論説が少ない、好著である。


印刷現場の電算化は、ここ二十年、急速に進んでいる。
活版印刷は、一九九〇年代に終焉した。
CTP*2の登場で、もはや印刷の最終過程を除けば、フルデジタル化している、といってよいだろう。
最終過程とは印刷である。


印刷さえしないで、読者が「書物」を読めばよいわけだから、電子書籍はすぐ実現すると、多くの人がこの一〇年主張してきたのも理解できないわけではない。
しかし、少なくとも現在、その主張は実現していない。


何故なのか?


コンピュータは、本のように寝ころんで読めないから?
馬鹿を言っては困る、グーテンベルクの時代に寝転がって読める本があったろうか。
ナポレオンが作った大型版の遠征記*3を、寝転がって読めるだろうか。


中西の本に、矛盾したふたつの意見が述べられている。

 そして情報の流通に最も「物」への変換を要求していたのが、「本」である。「本」のもつ情報は、実は「本」という物理的実体がなくても存在しうる。いままで「本」と情報というのは、あまりにも密接に関係していて不可分なものだと考えられていた。ところがインターネットは情報を送るのに「本」は必ずしも必要な形態でないことに気がついた。インターネット時代の「本」は、インターネット空間に解体せざるをえなくなってきている。
                 (「本は変わる!」 128p)

インターネットを通じて本を読むためにも、コンピュータのディスプレイのような表示装置=ビューアーが必要だ。
 本はこの手の機械をまったく必要としない。本には読むための装置が何もいらないというのは、いままで当たり前すぎて誰も意識しなかったことだが、いまとなってみればこの意味は大きい。「本」はソフトであると同時に、表示のためのハードでもあるということだ。
 この「ハードとソフトの一致」は、「本」の同一性の保証という利点も与えることになる。

                 (「本は変わる!」 196p)


最初の主張では「情報」は、インターネット空間を浮遊するから、『「本」は、インターネット空間に解体せざるをえな』いという。
次の主張では、『「本」はソフトであると同時に、表示のためのハードでもある』という。


私たちが考えなくてはならないのは、私たちが読んでいる「書物」は、「情報」とイコールではないということだ。
出版社が、印刷所が、編集者が、作者が、作っているのは、「情報」(書)だけではなく、「本」という「物」だということ。
「書物」の製作者たちは、「情報」を(あるいは『テキスト』を)作っているのではなく、それと不可分の「物」を制作しているのだ。
このことに無自覚であってはならない。


私は、このブログの冒頭に、

『「物」の秩序の中で、内容(「書」)は意味を決定づけられる。』

と書いた。


近代の情報(「テキスト」、より正確を期すなら「エクリチュール」)は、書物という「物」と不可分に発生している。
「書物」の物理的規制、紙質、見開きの大きさなど、書物の「秩序」とそれは不可分であり、書物の「秩序」に規制される。


おそらく、電子書籍の時代はまもなく来るだろうが、その時生み出される情報は(「テキスト」・「エクリチュール」)は、これまで私たちが読んできた近代の文体や形式(正確を期すなら「エクリチュール」)と異なっているはずだ。
それは、口誦文芸と文字で書かれた文芸が、本質的に異なるのと同じである。


これまで、読まれてきたものをそのまま、立てのものを横にするように、たとえば「ケータイ」や読書端末に移植するだけでは、何度でも失敗するだろう。
「本」という「物」から切り離されたとき、従来のエクリチュールは、半ば死滅しかかっている。


従来の「書物」の秩序を打ち破り、インターネットと不可分に成立する作品(エクリチュール)が登場する時、本当の電子書籍の時代がはじめてやって来るはずだ。
その時は、おそらくインターネットの「秩序」が、エクリチュールと不可分になる。
その萌芽は、すでにあるのかも知れない。
だが、まだだれも、発見しきれてはいない。



ブック革命―電子書籍が紙の本を超える日

ブック革命―電子書籍が紙の本を超える日


本は変わる!―印刷情報文化論

本は変わる!―印刷情報文化論

*1: http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/09/20/13345.html

*2: http://www.mba.co.jp/eco/ctp.html

*3:http://yushodo.co.jp/press/egypt/index.html 図版巻のうちの3冊は「エレファント判」と呼ばれる縦100センチ、横70センチを越える超大型本