声に出して読みたい日本語

「現代では小説は他人を交えずひとりで黙読するものと考えられているが、たまたま高齢の老人が一種異様な節回しで新聞を音読する光景に接したりすると、この黙読による読書の習慣が一般化したのは、ごく近年、それも二世代か三世代の間に過ぎないのではないかと思われてくる。『近代読者の成立』(167p)


前田愛の論文『音読から黙読へ―――近代読者の成立』の初出は、昭和37年(1962)。
そこから2・3世代前というと、どのくらいの時期をイメージしていたのだろうか? 
この後に続く一連の日記の引用から考えると、明治20年代(1887年)以前を考えていたように読み取れる。


しかし永嶺重敏は、『雑誌と読者の近代』の中で、現在の私たちからすると異様とも思える明治の日本の「音読」の光景を明らかにしている。

我々は一般に「音読」という言葉に対して読書能力の未成熟な状態を連想しがちであるが、明治期には読者層の中核をなす学生・知識人層においてすら音読慣行が一般的に行われていた。階層を問わず、年齢・男女を問わず、生活のあらゆる場面において本を音読する声が聞かれた。『雑誌と読者の近代』(35p)


「生活のあらゆる場面」とは、まず家庭内の「読み聞かせ」がある(このことは別の機会に考える)。
次に個人的読書の際の音読。
永嶺は、明治29年に上京した正宗白鳥

かねて愛読して、世界思想を注入されてゐた雑誌「国民之友」を買って、その夜、朗読して、最初の東京の眠りに就いた 『雑誌と読者の近代』(40p)


という文章を、引用している。
「朗読」したのである。
さらに明治10年の新聞に、書生が夜、本を音読する声がうるさいという苦情が掲載されていることなども引かれている。


一方、明治35年出版の『学生読書法』や、明治39年の雑誌『成功』臨時増刊号『現代読書法』で、「音読」はよくないと書かれている。
後者の中で漱石

「思考を凝らして読むべき書籍をベラベラと読むのでは読者自身に解らないのみならず、あたりのものの迷惑な話ではないか」(『雑誌と読者の近代』70p 一部表記を変更)


と、書いているのは興味深い。


いずれにせよ、前田が考えた以上に、個人としての読書は「音読」によって行われていたことがわかる。
さらに永嶺は、この「音読」の習慣が、公共の場でも行われていたことを指摘する。
図書館・学生寮・新聞縦覧所・監獄さらには汽車の中でさえも、人々は「音読」しており、それが明治30年代から昭和の初期にいたって、ようやく黙読に移行していく。(移行の時期に地域差や階級差は当然ある)
この「公共の場」の読書を、次にたどってみよう。


近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)    雑誌と読者の近代