『浮世床』の「音読」


落語の話から始めたい。
浮世床』という話がある。
江戸後期とおぼしき時代(おそらく文化文政以降)、髪結床に集っている庶民の滑稽譚が語られる落語である。
その中に、軍記物の本を音読する場面がある。
六代目三遊亭圓生が演じたその場面は、『古典落語 圓生集(下)』によると以下のとおりである。
髪結床の隅で本を読んでいるやつを見つけ、その本が姉川の合戦の戦記(太閤記か? )と知ったみんなが、「読み聞かせ」るように頼む。

「面白いところだねェ。読んで聞かしてくださいよ」
「(首を横に振り)だめ」
「どうして?」
「本てェものは黙って読むところが面白い」
「そんな皮肉なこと言わずにさァ、みんなここにいるやつァ退屈をしてェるんだから……読(や)ってもらえませんか?……だめ? どうしても」(203p)


こうして「読み聞かせ」始めるのだが、つっかえたり読み間違えたりで、話がとんでもない方向に行くという落語である。


この落語は、『圓生集』の編者である飯島友治によると、式亭三馬の『浮世床』から構想を得ている。
実際、三馬の『浮世床』 二編下に、同様の場面がある。
読む本は、『通俗三国志』である。
(新潮日本古典集成 浮世床 四十八癖から引用 一部表記を変更)
webで読む場合は
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kindaitaikei/sanba/kindai_sanba04b.pdf
参照

孔明といへば台箱の上に通俗三国志。コレコレ噂をいへば影がさすとは爰(ここ)のことだ。ハハア平仮名付に写したのだ。今では真片カナの本も写本になほすからいい。かうすると女にも読めるシ、おいらにもおちかづきの字になつていい」(略)
孔明七星壇に風を祈るッ ト本を読みてけろりとしてゐる(略)「それでも本式に読めたが不思議だ」ちゃぼ「読んで見せうか。曹操横たえて槊を賦す詩をス」(175〜176p)


ここから滑稽な読み間違いが続くのは、落語と同様である。
圓生の演出との違いは、「本てェものは黙って読むところが面白い」などとは言わず、突如として本を「読み聞かせ」、周囲も当然のことのように聞いている点だ。
音読や「読み聞かせ」は、少なくとも三馬が『浮世床』を書いた文化10年・11年(1813年・14年つまり19世紀)に日常的習慣だったようにも思えてくる。


「書物」を音読する習慣は、ヨーロッパでは15世紀に黙読するように変わった、と宮下志朗は述べている。*1
一方、ロジェ・シャルチエは『書物の秩序』の中で以下のように書いている。

一六、一七世紀でもなお一般に、文学的なものか否かを問わず、テクストを読むことは音声化と同義であり、その「読者」はテクストに則した発話の聴き手であると暗黙のうちに見なされていた。このように眼ばかりか耳にも訴える作品は、書かれたものを、発音の「パフォーマンス」に固有の要請に従わせるのに適した形態や手続きと戯れるのである。『ドン・キホーテ』のモチーフから「青本叢書」に収められたテクストの構造に至るまで、このようにテクストと声を結びつける関係の例は数多く存在している。(29〜30p)


ヨーロッパで、一般的に(地域差・階級差は、当然あったに違いないが)音読から黙読への習慣の移行がいつあったかを知るのは、重要な課題だが、しばらく置く。
一方、日本での音読の習慣は、かなり最近まで続いていたことが、前田愛永嶺重敏の研究で明らかになってきている。
それも「読み聞かせ」のためばかりではなく、個人の読書の際も音読をする習慣が、明治の終わり、地方によっては昭和の初めまで続いていたようだ(つまり20世紀まで)。


現在話題の「読み聞かせ」も、大ベストセラー「声に出して読みたい日本語」も、実はつい最近まで、私たち日本人には当然の習慣だったのかも知れない。


この問題を、前田愛永嶺重敏の著作を通じて考えてみたい。


古典落語 円生集〈下〉 浮世床 四十八癖 新潮日本古典集成 第52回 書物の秩序 (ちくま学芸文庫)