「作者」の完成

モノとしての「書物」とそのテクストと「書いた人」(「作者」)は不可分のものとしてルネッサンス期と活字出版の出現により誕生した。
観念としては、その通りである。
しかし、活字出版の発展は、同時に現象としては、「書物」と「作者」を乖離させる。


おびただしい海賊版の出版である。


著作権の保護は、まず権力から与えられる「特認」という形で始まった。
ラブレーは、『ガルガンチュアとパンタグリュエル』に関する一〇年間の独占権をアンリ二世から得たと宮下は指摘する。
しかし

そこには「所定の出版社により上梓せしめ」とあって、「特認」で経済的な利益を享受するのは、むしろ版元なのであった。(254p)


著作権が、作者に所属するのか、版元に所属するのか、長い争いの果てにようやく1709年、イギリスのアン女王による法律で「著作者」が権利者となる。
そして、18世紀を通じ、この考えはヨーロッパ各地に広まっていく。


といっても、海賊版がなくなったわけではない。
宮下は、バルザックを例にあげている。
19世紀の作家であるバルザックの著作は、フランスでの新聞連載が終わると、すぐにベルギーで刊行された。
フランスで本が出版される以前である。
むろん、バルザックは、ベルギーの出版社から、1フランたりとももらっていない。


さらに、このベルギー版は、フランスに廉価で輸出される。
宮下によれば、ベルギー版はフランスでよく売れたという。
バルザックは、正規のフランス版で得られたであろう利益も失ったわけだ。


著作権法は、各国の国内法規である。
著作権の国際条約であるベルヌ条約が結ばれるのは1886年
つまりベルギー版は、条約以前、海賊版ではあったが違法ではなかった。
もちろんフランスの出版社も、英語やイタリア語の書籍の海賊版を作り、輸出していた。
1850年に没したバルザックは、ベルヌ条約の保護を受けられなかったのである。
著作権の国際的取り決めによってようやく、切り離されていた「作者」と「書物」は一体となる。


ちなみにアメリカはベルヌ条約未加盟(加盟は1998年)のまま、なんと1982年まで、まず海外で印刷されたものは保護していなかった。一方、自国の出版物は、カナダ(条約加盟国)の子会社で印刷し、海外で保護されるようにしていたという。*1


もう一つ、職業としての「作者」を成立させる要素である、印税システムが確立されたのは、ゾラ(1840-1902)の時代であることを、宮下は論証する。


印税は、それまで王侯貴族・有力者の庇護の元で執筆していた「作者」を経済的に自立させる。庇護とは、一方で規制であった。
と同時に、「作者」は、本の売り上げという市場原理の中に、放り出された。


こうして、19世紀後半から20世紀に入って、私たちが現在考える「書物」が誕生する。


書物史のために ディジタル著作権

*1:名和小太郎「ディジタル著作権」2.3参照