「作者」の誕生

現在私たちは、ある作品を書いた人(作者)とそのテクスト(「書」)、完成した「物」を不可分の一連のものとして「書物」を捉えている。
この認識の背景には、作者のオリジナルのテクストと「書物」に書かれたテクストが同一であるという思いがある。


しかし、活字出版が始まる以前、この同一性が保たれていたわけではない、というのが、宮下の指摘の2つ目のポイントになる。


活字出版以前、「書物」は、「写本」という形で流布していく。
ある作家が、テクストを書く。ここまでは、最初に述べた過程と同じである。
しかし、このオリジナルのテキストは、写本という形で中世社会に投げ出される。

テクストはひとたび書き手を離れると、中世のリテラシーの空間を浮遊する。写本文化という、いわば中世のインターネット上に放り出されるわけだ。そして、そのテクストをだれかがダウンロードすることになるのだけれど、そこでいわば文字化けを起こしてしまうことになる。(36p)

オリジナルのテクストは手書きである。それを手書きで書き写す。
その過程で、無数の細かい誤写が生まれる。「文字化け」がおこったわけだ。


次にその「写本」を写す人間が、「これは写し間違いだろう」と解釈し、異なった文章を書く。
この繰り返しがが、長期にわたって行われ、オリジナルのテクストは失われ、何種類もの異なった写本が伝えられる。

写本という行為とは、それ自体が解釈であり、介入(32p)

であった。


つまり、現在私たちが読んでいる中世の作品(宮下は、フランソワ・ヴィヨンを例にしているが)のテクストが、オリジナルと同一であった保証はない。数多くの異なった写本が現存するし、現代の学者がテクストを同定すること自体が、「介入」であるともいえる。


つまり中世のある時期まで、オリジナルを「書いた人」、他者によって「介入」されたテクスト、モノとしての複数の「書物」は、別個に存在していた。


この状態が、変化するのは、ルネッサンス期である。
宮下は、ペトラルカが、自ら書いたテクストを守る方策をとったことを指摘する。

たとえば『牧歌』の初版を何冊も作っているんだよ。まず原本の写しをいくつか作るよね。それを友人のボッカッチョ(一三一三 - 七五年)に読んでもらったという、あの『デカメロン』の作者にね。それを聞きながらペトラルカがきちんと校正して、いわば著者検定済みのテクストを複数作ったわけさ。(46p)


ルネッサンス期に、古典の発掘とそのオリジナルを求める研究が始まったことが、こうした意識の一因かも知れない。あるいは、この時期に「個人」という意識が明確に表れてきた証なのかも知れない。


いずれにせよ、作品を書いた人と書かれたテキストを、正確に結びつけようという意識が生まれ、さらに活字本の出現により「写本」という介入を排除することで、「書物」の内部にテクストは固定化される。


モノとしての「書物」とテクストと「書いた人」は不可分のものとなり、今日的意味での個人としての「作者」が誕生した。現在の「書物」の誕生への、第2のポイントである。


このことは、「作者」が自分のテキストを、このように読んで欲しいと強制することでもあった。
自由に解釈し、書き変えることはできない。
中世的意味での浮遊するテクストは失われる。
(webの伸展は、再び共同性のテクストを生み出すだろうか?)


テクストの固定は、読み方を強制する。
が、実際には、「読む自由」は、この強制を常に逸脱する。
そうした、ロラン・バルトが思索した課題は、いずれ別の機会に考えなくてはならないだろう。


書物史のために