板木


私見ながら、現代、常識的に考えれば、版元(出版社)が持っている権利は、ある著者の作品を出版するという権利(出版権)だけである。
それは、往々、慣習的に「口約束」で行われる場合もあるが、出版契約に基づいて行われるのが本来である。
しかし、その権利(出版権)も、明確に確立されているようには、思えない。
現在、明確に保護されているのは原著者の著作権のみであり、たとえば、ある著者の全集やアンソロジーを作るときは、最初の版元(出版社)以外の版元(出版社)が、刊行する場合がある。
ほとんどの場合、版元(出版社)間で文書による許諾を交わし、出版物に初出を明記するのだが、これも慣習的で、要は版元(出版社)間の「仁義」を守っているようにも思われる。
原著者がどの版元(出版社)から作品を出そうと、勝手なのかも知れない。
(この業界から締め出される可能性はあるにせよ)
web上の配信(公衆配信権)も含め、事態は微妙である。
法整備が、不備なのだと思う。
大急ぎで付け加えておくが、あくまで「私見」である。


同様に、かねがね不審に思っていたのは、印刷所にある「刷版」は、誰の所有に期するのかという問題である。
これは、デジタル化したファイルが、誰の所有かということにつながる疑問でもある。
再び繰り返すが、現在、明確に保護されているのは、「著作権」のみである。


江戸期、事態は明瞭であったらしい。


いわゆる近世の木活もそうですね。あれは幕末まで本として扱われていないのです。それは板が残らない、つまり紙型がの残らないということで。この当時の感覚として、本というものは、印刷してでき上がったものを指すのではなくて、いわば板木の方を本と考えるのだろうと思うのです。
  (江戸の出版 座談会「板元・法制・技術・流通・享受」40p 中野三敏発言)


ヨーロッパの歴史を踏まえても、最初に確立した権利は「著作権」ではなく、「出版権」であった。(このブログ・4参照)
江戸期も同様であり、「ものの本」に関しては、類書すら他の版元が出版することを禁じている。


そして、その権利の有無は、「板木」の所有に拠っていたようだ。
板木が、「本」だったのである。


つまり印刷するたびに版組をこわす「古活字」印刷は、権利を主張できなかった。
これは、「整版」による出版がが主流になったからこのようになったのか、あるいは逆かは、いまの私には判断できない。
いずれにしても、「板木」の所有が、出版権の所有と同義になってしまえば、「活版」が、江戸期に主流になる要因は、失われていったと推測される。