auteurとは何か


『万有辞典』は、「文学の分野で『オトゥール』は何か書物を明るみに出した者についていわれる。今日ではそれを印刷させた者に限っていわれる」と明記し、その用例として「この男はとうとう『オトゥール』となり、印刷してもらった」と付け加える。作者というものは、作品の印刷物としての流布を前提とし、また逆に、印刷機に頼ることが「作者(オトゥール)」を「書く人(エクリヴァン)」から区別するというのである。
                  (ロジェ・シャルチエ 「書物の秩序」77p)


ここでシャルチエが引用しているのは、17世紀末の、フランスの辞典である。
シャルチエは、この論の引き続く部分で、すでに写本時代から、「著者」意識は生まれていたことを論じていく。
私はすでにペトラルカが、強い著者意識を持っていたことを、このブログで書いた。


しかし、歴史的経過はともかく、17世紀のある時点で、「著者」が、印刷を前提に考えられていたという事実は、重要に思える。
「書く人(エクリヴァン)」は、天啓を得たかどうかは知らないが、優れた作品を書いた人である。
しかし、それだけでは、「作者(オトゥール)」ではなかった。
それを流布させ、なにより「印刷」しなくては、ならなかった。


一方、シャルチエは、18世紀の英国の状況を次のように記す。


伝統的定義では、作者は自らのペンによってではなく、資産や職務によって生計を立てる。彼は「宮廷文学に結びついている親密な関係や希少性というような古い価値をを変質させた、コミュニケーションの手段に対して反感」を露にし、印刷物を見下す。また同輩のうちから選ばれた読者、手写本のかたちで流布、自作に署名せず名前を秘すことの方を好む。「匿名性の宮廷伝統」を代表する作者の消去は、印刷機に頼ることが不可避だと判断された場合、さまざまなかたちで行われる。
                  (ロジェ・シャルチエ 「書物の秩序」75p)


シャルチエは、スウィフトやトーマス・グレイ、トーマス・チャッタートンなどを例に挙げるが、「印刷物のテクノロジーの現実的条件および市場経済の上に築かれた、新しい文学の世界 (前掲書75p)」によって、消滅する。


私たちは、現在、上記の人びとの作品を、その著者名と関連付けて読むはずだ。


「機能としての作者は今日文学作品に全的に作用しています。」とフーコーが語った世界の始まりである。


しかし、逆の言い方をすれば、この「作者」とテクストの関連性が優位の時代は、200年の歴史しか持っていないし、決して固定された普遍的な観念でも恒常的観念でもないということである。