粉挽屋について


メノッキオのことを考えていて、粉挽屋という職業の特異性を思った。

必要があって、鏡リュウジの魔女入門」を読んでいたのだが、その中の、以下の記述が気にかかったのである。


民間伝承では、粉ひき小屋は悪魔や魔女と関連付けられている。水車の機械仕掛けとその性能に悪魔的なものを見たのだろうともいわれている。
           (「鏡リュウジの魔女入門」 026p )


一般向けに書かれた本だから、この場合の「民間伝承」がいつを指すのかは不明だが、粉挽屋は、中世の村落共同体の中で、特別な位置を占めていたらしい。


たとえば、「ヨーロッパ中世の城の生活」の中で、粉挽屋は、次のように書かれている<


という類いの話を日常的にもらし、二度異端審問にかけられ、処刑される。
ギンズブルグは、古文書の中から見出した裁判記録を追い、メノッキオの思考を明らかにしていく。


職人たちの中で最も裕福で、最も嫌われたのは粉屋である。粉屋は領主に免許料を支払い、厳密な独占事業であった粉挽き所の運営権を手にしていたのだ。村人は穀物を粉挽き所に運び、穀物の一六分の一〜二四分の一にあたる「使用料」を粉屋に支払わなければならなかった。穀物を計るのは粉屋だったから、当然不正計測の疑惑がかけられることになる。さらに、良質の穀物を粗悪なものと取り替えるという非難にも晒された。中世のジョークにこんなものがある。「世の中で一番勇気のあるものは何?」答えは「粉屋のシャツ。毎日盗人の首根っこを押さえているから」。
       (「中世ヨーロッパの城の生活」 202p )


ギンズブルグ自身も、こうした粉挽屋と農民の間のステレオタイプの敵対関係を指摘している。


しかし一方で、メノッキオに関していえば、ウリフリ地方の小さな村ので、特に排除されていたようには、ギンズバーグの伝える裁判記録からはうかがえない。


ギンズバーグは、粉挽屋に関し、以下のように書いている。


 産業化が始まる以前のヨーロッパにおいて、コミュニケーション手段のほとんど発展していないことが、少なくとも水車小屋や風車小屋を、人の集るごく小さな中心たる場にしていた。それゆえ粉挽屋という職業は非常に広範にみられた。中世の異端の諸宗派のなかに粉挽屋が数多く含まれ、さらに再洗礼派のうちにとくに多く存在していたことは、従って驚くにはあたらないことなのである。しかし、十六世紀の中頃に、先にみたアンドレア・デ・ベルガモのような風刺詩人が「本物の粉挽屋は半分はルター派」だと主張したとき、かれはそれよりももっと特殊なある結びつきをほのめかしていたように思われる。
       (「チーズとうじ虫」 240〜241p )


さらに


 自分たちの小麦を挽かせるために、「柔らかく泥っぽい田舎の騾馬の小水で湿っている地面」(こう言っているのはいつもながらのアンドレア・デ・ベルガモである)の、風車小屋の戸口に立った農民たちは、沢山のことを語っていたであろう! そして粉挽屋も自分の意見を言った。(中略)かれらの仕事の置かれている状況そのものが、旅籠屋や遍歴の職人などと同じように、新しい思想に開かれ、それを広めるような傾向をもった職業集団をなしていた。そのうえ、一般に村の外に位置していて、人びとの無遠慮なまなざしの届かない風車小屋は、秘密裡の人びとの集りの場としても最適であった。
         (「チーズとうじ虫」 242p )


ヨーロッパ中世の民間伝承や迷信について詳しい人には、「粉挽屋」という職業の特殊性は常識の範囲なのだろう。
粉挽屋は、当時としては最新のテクノロジーを駆使し、知識の無い大衆にとってはいつも騙されているのではと危惧しなくてはならない、民衆の中の<知識人>であったかもしれない。


書物の話からは、かけ離れてしまうが、ヨーロッパ中世から、ルネッサンス期にかけての心覚えとしておく。

鏡リュウジの魔女入門

鏡リュウジの魔女入門

中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫)

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