遍歴する職人たち


 実は10日あまり前から、ルネッサンス期の印刷職人を主人公にした、この魅力的な歴史小説「消えた印刷職人」を手に、なにを書こうかと思い悩んでいる。
 高宮利行他著の「本と人の歴史事典」を拾い読みしたり、エズデイルの「西洋の書物」を読み出したりしていた。

 小説の筋立て自体は、興味深く、1545年から1595年までの、アベル・リブリという印刷職人の半生を描いている。
 彼は、ジュネーブ・リヨン・バーゼルハイデルベルク・スダンの町を、遍歴する。
 アベル・リブリは実在したようだが、乏しい十六世紀の史料を元に、ベルギーの歴史家ジャン=フロンソワ・ジルモンが(アナグラムの筆名を使って)、想像力をつくし小説にまとめたものだ。

 ここで、筋を追ったりするつもりはない。
 
 初期の印刷工房の零細さ、遍歴する職人たち、宗教戦争期の不安など、散文で知っていたものを、小説の形で追体験できるわけで、その世界に浸ればよい。
 特に、新教の街・ジュネーブの息苦しさは、何と思ったらいいのだろう。

 若干の疑問は、遍歴する地域が、フランス語圏とドイツ語圏にまたがっていることだ。
 印刷工にかかわらず、遍歴する職人たちは、バイリンガルだったのだろうか?

 いまひとつは、印刷工房の零細さが描かれるが、この時期、印刷工房のみが零細だったわけではあるまい。この時期の産業の全体像を考える必要があると思う。ただし、印刷術がこの当時の、ハイ・テクノロジーであったことは、留意する必要がある。

消えた印刷職人―活字文化の揺籃期を生きた男の生涯

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