野性の精神は全体化する

 相当に刺激的な本である。
 私たちが自明に考えている「思考のパターン」やそもそも「思考する」こと自体が、文字あるいは「書くと言う技術」に根ざしていると、「声の文化」との対比の中で明かされて行く。
 「書くと言う技術」を持っていることは、かなり特別なことらしい。

 これまでに、人間の歴史のなかで人の口にのぼったことのある何千という――ひょっとして何万かもしれないが――言語すべてのうちで、文学をうみだすほど書くことに憂き身をやつした言語は、わずかに百六にすぎないほどである。今日実際に話されているおよそ三千の言語のうち、文学をもっている言語はたったの七十八である。(Edmonson 1971,pp.323,332)いったいいくつの言語が、書かれるようになるまえに、消滅したり、変質して他言語になったりしたか、いまのところ数えようがない。活発に用いられていながら全然書かれることのない言語が、現在でも何百とある。
                        声の文化と文字の文化 24p


 発話さえれることばは、瞬く間に消えてしまう。
こうした世界では、思考は、どのように行われるのか?

 声の文化のなかでいきる人が、ある一つの複雑な問題を考えぬこうと決心し、とうとう一つの解答を何とか表現できたとしよう。そして、その解答自身もわりに複雑で、たとえば、二、三百語でできているとしよう。この人は、こんなに骨身をけずって練りあげた言語表現を、あとで思い出せるように、どうやって記憶にたくわえておくのだろうか。どんな書かれたものもないのだから、この思索者のそとには、もう一度おなじ思考の流れを再現したり、また、再現したかどうかを検証したりするのにさえ、たすけになるどんなものも、どんなテクストもない。刻みをいれた棒とか、注意ぶかく並べられた事物のような忘備録 aides-mémoireも、それだけでは、複雑な言明の流れを再生させることはできない。実際のところ、そもそも最初に、ながい分析的な解答が組み立てられうるのはどのようにしてなのだろうか。そこには、話の相手が、ほとんど必須である。なぜなら、たてつづけに何時間もひとりごとを言いつづけるのはむずかしいからである。声の文化においては、[つねに]人とのコミュニケーションと結びついている。

                         前掲書 77〜78p


 なるほど、ソクラテス孔子も対話のなかでしか、思考を深めることができなかった。
 ソクラテスプラトン孔子は、すでに文字・「書く技術」の世界に生きていたが、依然、「声の文化」の色濃い影響下にあったはずである。書くことは、たとえば平板な羊皮紙や竹簡など「筆記されるもの」と、何らかのインク・墨、鵞ペン・筆などを常に用意しなくてはならない。
 ちょっとメモ書きなどというわけには行かなかったはずである。
 さらに言えば、「声の文化」の影響が長く残ったことは、すでにこのブログで、「音読」を考えることで、確認している。

 しかし、思考を刺激し、確認してくれる聞き手がたとえいたとしても、その思考の断片や切れはしがメモにはしり書きされるように残るわけではない。いったいどうやって、苦労して考え出したものを精神に呼び戻すことができるのか。答えは一つ。記憶できるような思考を思考することである。

                           前掲書78p


奇をてらった言い方をすれば、「声の文化」に生きた人は、「書く技術」を持った私たちのするような思考はできなかった。
正確に言えば、私たちのようなやり方での思考をする必要はなかった、ということだろう。

一次的な声の文化では、よく考えて言い表された思考を記憶にとどめ、それを再現するという問題を効果的に解くためには、すぐに口に出るようにつくられた記憶しやすい型にもとづいた思考をしなくてはならない。このような思考は、つぎのようなしかたで口に出されなければならない。すなわち、強いリズムがあって均衡がとれている型にしたがったり、反復とか対句を用いたり、頭韻や母音韻をふんだり、[あだ名のような]形容詞句を冠したり、その他のきまり文句的な表現を用いたり、紋切り型のテーマ(集会、食事、決闘、英雄の助太刀、など)ごとにきまっている話し方にしたがったり、だれもが耳にしているために難なく思い出せ、それ自体も、記憶しやすく、思いだしやすいように型にはまっていることわざを援用したり、あるいは、その他の記憶をたすける形式にしたがったりすることである。まじめな思考も、記憶のシステムと織り合わされている。記憶をたすけるという必要が、統語法さえも決定するのである。

                        前掲書78p


このことが、ホメロスを例に考証される。ホメロスの詩においては、「語や語形の選択が、([文字にたよらず]口頭で組み立てられる)六脚韻 hexameter の詩行という形態に左右されている」(p49)。
 さらにその語彙は、きまり文句の組み合わせによっている。
「『イリアス』と『オデュッセイア』に使われていることばのうち、きまり文句formula の一部でないもの、それも、一目みて多少ともそれとわかるようなきまり文句の一部でないものは、ほんのわずかにすぎない」(55p)



 つまり、思考するためには、常套的な言い回しを用い、それを記憶するためには韻をきちんと踏むことで、覚えやすくする必要があった。ホメロスは、これらを組み合わせる天才だったわけだ。


 ここで思われるのは、日本古代歌謡である。
 たかだか、「長い」という言葉を言うために、山の枕詞「あしびき」と述べ、さらに序詞「山鳥の尾のしだり尾の」などというのか?
 また、単純な地名、たとえば「初瀬」を言うために、わざわざ「隠国 こもりく」等という枕詞を付けなくてはならなかったのか?
 それは、ホメロスが「賢明なるネストール」とか「知謀に豊かなオデュッセウス」と「形容詞的きまり文句」を「義務的に固定化」(87p)と同様な思考法なのかもしれない。
 長い間、素朴な疑問として感じていたことの手がかりが、得られたように思う。
 またそれを記憶するために、日本古代の歌謡は、音数律を活用したといえる。



「野性の精神は全体化する」(88p)
この引用が、レヴィ=ストロースの意図にあっているかどうかはともかく、そのようである。


声の文化と文字の文化

声の文化と文字の文化