世界をリスト化する

「声の文化」の特徴の第一にJ・オングがあげているのは、それが累加的(additive)であるという点である。
16世紀のドゥエー版聖書に、「声の文化」の残存を見ている。
なかなか興味深いので、引用する。

 はじめに神は天と地を創造された。[そして]地は形なく、むなしく、[そして]やみが淵のおもてにあり、[そして]神の霊が水のおもてをおおっていた。[そして]神は「光あれ」といわれた。すると[そして]光があった。[そして]神はその光を見て良しとされた。[そして]神は光とやみとを分けられた。[そして]神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。[そして]夕となりまた朝となった。
                     声の文化と文字の文化 84〜85


訳者によれば、[そして]は、原文のandである。
「声の文化」では、分析手語り口(思考)ができず、えんえんと時系列に沿った話を積み重ねていくのがわかる。
また、一方で、「声の文化」では、「人間的な行動のコンテクストを欠いた抽象的で中性的なリスト[一覧表]」をまとめることができない。
私たちは、たとえば旧約聖書「創世記」や「民数記」で、「イラデの子はメホヤエル云々」という記述を読むが、それもまた、「イラデの[つくった begat]子はメホヤエル、メホヤエルの[つくった]子はレメクである」(p206)と累加的であって、しかも中性的なリストではなく、「人間と人間との関係を記述し説明」(p95)したものである。
そもそも、定型の「〜のつくった子は〜」という繰り返しを、歌うようにか、唱えるようにしなくては、覚えておくことはできなかったに違いない。
「文字の文化」は、この思考法に、決定的変化をあたえた。

紀元前三五〇〇年ごろにはじまるシュメール人楔形文字スクリプトにおいては、そのほとんどすべてが勘定の記録である。
                           前掲書 205p


 それが広まっていく過程で、私たちの祖先は、抽象化した商品(たとえば羊)と価格を分類し、抽象化し、リスト化したはずである。
 それのスピードが、さらに急速になるのは、印刷術の発明によってである。
 リスト化は、語彙にまで及ぶ。
 印刷術の発明以前、「全体的で包括的な説明を試みるどんな辞書もつくられてはいない」(p223)

『ウェブスターズ・サード・インターナショナル大辞典』でも、あるいはそれよりずっと小さな『ウェブスター学生辞典』でもいいが、そうした辞典のその比較的正確な手書きの写本を、たとえ二、三ダースでもつくるということがどういうことなのかを考えてみれば、すぐわかる。このような辞書[の世界]は、声の文化から限りなくへだたっている。書くことと印刷が意識のありかたを変える、ということがどういうことかを、これほどはっきりと示すものはない

                          前掲書223p


印刷術による、分析的・抽象的分類は、やがて「索引」を生み、チャート化し、私たちの思考法そのものを変えた。


インターネットの普及によって、辞書は、さらに紙からも脱却しようとしている。
今年、いくつかの用語辞典が、紙媒体を棄てたことは、記憶に新しい。

そして、コンピュータは、瞬時のうちにリストを縦横に組み換える。
今は、紙媒体の延長線上にある高速化だが、私たちは、新たな抽象的思考を始めるのだろうか?