寛政の改革

寛政三年、山東京伝蔦屋重三郎は、幕府から処罰される。京伝著の洒落本三部作『錦之裏』『仕懸文庫』『娼妓絹籭』が処罰の対象で、京伝は手鎖五十日、板元の蔦屋重三郎は身上半減になった。


寛政の改革は、この「筆禍」によって、勃興し始めた江戸の町人文化に冷水をあびせるる出版弾圧であったことが、従来、強調されてきたと思う。
確かに、田沼時代の自由を謳歌する風潮に対し、松平定信の思想弾圧・出版弾圧であったことはまちがいない。


「文武二道万石通」の朋誠堂喜三二(秋田藩留守居役筆頭)は、天明八年(この年、寛政の改革はじまる)に止筆。
「鸚鵡返文武二道」の恋川春町駿河・小島藩江戸詰用人)は、寛政元年、幕府から召喚されたが出頭せず、まもなく死去(自死か?)。
同じく寛政元年、「黒白水鏡」(石部琴好作京伝画)によって、琴好は手鎖の上、江戸払い、京伝は過料に処せられている。


一連の流れの中での、寛政三年の「筆禍」であった。


ところが、驚くべきことに、この時期の江戸の出版界は、空前の出版ブームに沸いていた。

 寛政の改革については、この一件をはじめとする「筆禍」についてとやかく言われがちですが、案外見過ごしがちなことを一つ指摘しておきますと、この改革によって書物景気が起きます。つまり、流通の方で書物の需用が一時に高まります。学問に励まなくてはならないというような風潮を受けて、江戸の本屋さんから「四書五経」の類が払底してしまうというような、笑い話のような事件が起こるのがこの頃です。地本・草紙の業界でも、この風潮にに乗ろうとする動きが見えます。 

                「江戸の出版」 鈴木俊幸談 21p

鈴木は、その著「江戸の読書熱」のなかで、「経典余師」という書物の普及に関連付け、この間の事情をさらに詳しく論じている。
そもそも「経典余師」とは、どんな本か?


これは渓百年という浪人儒者の編んだ経書の注釈書である。平仮名混じりで注釈と書き下し文を示し、独学で素読を会得し、学問の道に分け入ることができるように仕立てたものである。
                      「江戸の読書熱」 P146

この本は、天明六年の『経典余師四書之部』から天保十四年刊『経典余師 近思録』まで十種類出版されているとされ、明治期まで後刷りがあったようだ。
大ベストセラーだったらしく、今、「日本の古本屋」で検索しても「経典餘師 詩経巻之3-5 」2冊で、わずか3000円である。
残っている部数が多いため、江戸期の書物であるにもかかわらず、いたって安価なのであろう。


ちなみに、二宮金次郎・尊徳の銅像が読んでいるのは「経典余師」らしい。


天明六年に出版されたこの本が爆発的に売れたのは、もちろんその直後に開始された「寛政の改革」とタイミングが合ったことが一因であろう。
当時、幕臣ですら(たとえば小普請組)などは、素読などできなかったようであり、寛政の改革が実施した「学問吟味」などに備える「自習書」は、必要だったと思われる。


しかし、それより何より、地方で爆発的に「読書熱」が広まった。


鈴木が、 「江戸の読書熱」で取り上げている、信州埴科郡の中条唯七郎という人物の日記によると、安永の頃には、村内には数えるくらいの本しかなかった。
寛政六年に中条が四書の素読を習ったところ、「出家」か「医者」でもなるのか、と言われたほどだった。
ところが、弘化三年になると

「近年当村辺人気さかしく上品に成候事天地雲泥の違ひ、其昔は無筆ノ者多し、然るに此節ハ歌・俳諧・いけ花芸としてせずという事なし。」 前掲書 p139


知的な環境が整ったことが知れる。


また、本屋に関しても

かつては、(略)書物を買おうとしても、「其題号名目にても不存程の事也」と、その書名すら理解してもらえなかったのが、最近はどのような書物を尋ねても、「即席無之分ハ京都ヨリ取寄遣ス自由也」と、在庫がなければすぐに京都から取り寄せてもらえると記している。書籍需要の高まりが、本屋の質の向上と流通の格段の進歩とを招来しているのである。      前掲書 P140


これらは、寛政の改革を契機とする、地方の知的欲求の高まりを証している。
それに伴い、京・大阪・江戸、三都の版元は、寛政期、地方に新たな市場を発見し、地方への本の流通の整備に力を注ぎはじめたのである。


たとえば、蔦屋重三郎である。彼は、江戸地本問屋であったが、寛政二年に書物問屋仲間に加入する。
当時ブームを迎えた儒学書などの「物之本」の出版を企図したものか?
あるいは、全国流通網の確保を考えたためだろうか?


鈴木が引用している信州松本の書林慶林堂高美屋の日記、文化十二年に、江戸に仕入れに出た際

其節通油丁書林蔦屋重三郎同道ニ而、両国万八楼ニ書画会江行。  前掲書78P

とある。
その席には、十返舎一九山東京伝滝沢馬琴などがいたらしい。


地方の書店主を歓待する蔦屋重三郎
おそらく、旺盛な資本家・起業家として、地方への流通の確保を企図していたと推測できる。



寛政の改革は、江戸期の書店が全国流通への道を開く、大きな契機だったことに、注目したい。


江戸の出版

江戸の出版


江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通 (平凡社選書 227)

江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通 (平凡社選書 227)