江戸期の書物はなぜ整版か?
中野三敏・監修の「江戸の出版」を読んでいたのだが、江戸期の出版・印刷の用語さえ忘れてしまっていることに驚いて、書棚から古いNHKブックス「江戸の本屋さん」を出してきて再読していた。
そのうちに、なぜ室町から江戸初期にあった「古活字」を日本は捨ててしまったのか? という疑問を、再度、考えてしまった。
昨年10月に、田中優子の「より多くの部数を印刷するには、活字を整える技術が追い付かなかったのである。」という言葉を引用しながら、漢字文化圏の「活字」の多さが、その理由かと考えた。
技術的に多様な文字種をそろえることの困難さ、そのための資本投下の必要性が、江戸期日本の印刷・出版を「整版」に導いた、と漠然と考えていた。
東京大学総合研究博物館のhpにある西野嘉章編「歴史の文字 記載・活字・活版」によると(以下のURL 参照)
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Moji/05/5100.html
江戸初期、家康が鋳造させた銅活字(駿河版活字)の大部分が失われてしまう。
このように銅活字は家康の死後天災によりその三分の二を失い、以降再び鋳造されることもなく、出版は木活字あるいは木版の印刷に変わっていった。また日本最初の金属活字として、天正一八(一五九〇)年にヴァリニャーニと遣欧少年使節により九州に伝来したグーテンベルク方式による鉛活字も、短期間の鋳造でキリシタン禁令により印刷機とともに国外に追放された。江戸幕府の鎖国政策のため、日本は印刷技術の面で大きく遅れをとることとなった。
(西野嘉章編「歴史の文字 記載・活字・活版」)
つまり、「活版」印刷が一旦広まったものの活字が失われ、それを再鋳造するには、幕府や朝廷など、国家権力が関わるほどの資本投下が必要であり、民間にはその費用を賄うことができなかった、と考えたのである。
しかし、私の想像に反し、事情はもう少し複雑なようだと思えてきた。
(安土桃山時代:注・引用者)
活字印刷が導入されて何が大きな刺激を与えたかというと、これまで行われていた整版ですと、大変お金がかかったわけですが、活字印刷の場合には、活字を一組買いそろえておけば、それでほとんどの本ができあがることになってきますので、安価に本が作れ、しかも少部数の本を作るのに適しているというので非常に利用されるようになったのだろうと思います。
(「江戸の出版」 座談会「板本」をめぐる諸問題14p 市古夏生発言 )
活字印刷で「安価に本が作れ」たのだとしたらなにが、「古活字」を捨てる原因になったのか?
先の田中の引用にも「より多くの部数を印刷するには」とある。
この引用の前の文章は「キリシタン版は一点一五〇〇部印刷できたというが、恐らくそれが活字印刷の限度だったろう。」であった。
市古の上記発言にも「しかも少部数の本を作るのに適している」とある。
いかに「大量」に刷り、大量に「売る」のが、出版を「業」として成り立たせる、と前回私は書いた。
古活字から整版へ変わったのも、(中略)これは完全に経済的な理由だけだと思うのです。古活字ではやはり重版ができない。それでは商売にならないということだと思うのです。
(「江戸の出版」 座談会「板元・法制・技術・流通・享受」40p 中野三敏発言 )
「古活字」が、江戸期に捨てられた背景には、「部数」の問題があると考えられる。
つまり、室町期とは異なる「読者」の誕生が、考察されなくてはならないだろう。
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